東京国際映画祭1998

映画祭

今回の映画祭はチケットの発売日が大幅に遅れたり、フィルムの未着でキャンセルが生じたりして例年以上に前売りがゲットしにくく、時間帯も各ジャンルが重なっておりセレクトにも悩んだ。結局 10 本しか見られなかったが、各ライン毎にティーチ・イン等レポートしてみる。

◆1)コンペティション部門

□10/31(土)◇静けさが消えた日(渋谷ジョイシネマ)コンペ部門オープニング作品(公開未定)ゲスト:パオロ・アガッツィ監督

【作品内容】ある村にやってきた旅回りの演劇団の俳優と家庭を捨てて駆け落ちしてしまった村一番の美人。

数年後、この辺鄙な村に有線ラジオを開こうと1人の男がやってくる。はじめは村人の為、と張り切っていた彼だが、次第にマイクを通じての村人たち互いの悪口の場になってくる。男もある家に閉じこめられた美しい娘(実は母の駆け落ちで残された娘)に一目惚れ以来心は上の空。挙げ句娘と実父が近親相姦していると思いこんだ彼はスイッチをオンにしたまま言いたい放題を放送。遂に村を追放される。「予告された殺人の記録」を甘口にしたような寓話的物語。

【ティーチ・イン】・どのような点がボリビア的な作品といえるのか?

丁度1年前に制作したこの作品は今から7~8ヶ月前に地震で壊滅してしまった村が舞台で、この村が映画の中心といえる。ボリビア的というと多分に先住民族にスポットを当てたものが多いがその村はスペイン領だったという点ではボリビアでもコロンビアでも特定しないので逆にボリビアを強調していないとえる。が、言語をはじめ様々な点で普遍的な点が多いのでラテンアメリカを題材にした。

・ボリビア出身の観客からボリビアの映画がコンペ作品17本のうちに選ばれた感想を聞かれて

東京国際映画祭はハリウッドトーンに重きを置かず新しい才能にスポットを当てる点に特長があると思ったので他の映画祭へのオファーを断ってでも来日を果たした。

・ラテンアメリカの映画事情について

映画産業全般が配給や制作の面を含みハリウッド映画にコントロール去れているため自国の映画を上映する劇場がない上、制作面でいえばアルゼンチン、メキシコ、ブラジル以外は体型化されていないので他国との合作の形を取らざるを得ない。又、きちんとしたスタジオがなく、プロのスタッフも仕事のチャンスがなく他の道を模索している。

更に家でテレビや海賊版ビデオを見る習慣の人の方が多く、映画館へ足を運ばないので劇場が閉鎖の事態に追い込まれている。こうした事から当たる映画のみ上映するから専らトップは「タイタニック」

しかしそんな中でこの「静けさが消えた日」は当初の2~3週間の上映期間の予定を8週間にまで延長するほど国産としては珍しく当たった。映画製作は極めて困難な状況だが今後も作り続けたい。

・日本映画を含むアジア映画について

アジア映画はラテンアメリカではビデオの形でしか入ってこないが「菊豆」等良質の作品もビデオで知ることが出来た。ハリウッド作品以外の作品はほとんどビデオで見られる。

監督はボリビア国籍のイタリア人で、ティーチ・インはスペイン語で行われた。この作品は長編第3作目。ラテンアメリカの映画が日本人の目にどのように写るかが興味深かったという。小柄で髭をたくわえた静かな語り口の監督だが、ティーチ・イン後にサインを求めたところカタログの自分の顔写真を指して「変な顔」というので「本物の方がハンサムですよ」というと照れてしまうようなちょっとシャイなところのある人だった。

□11/4(水)◇レクイエム (渋谷ジョイシネマ)*公開未定アラン・タネール監督ゲストの来日なし

【作品内容】

7月最後の日曜日のリスボン。港で今は亡き詩人と待ち合わせをしていたポールは昼と夜の時間を間違えてしまう。あいてしまった 12 時間の間に過去と現在を自由に行き来しながら様々な人物に会う。

愛していた女性の自殺はやはり故人となった親友の作家の何か関係があるのか?ジプシーや故人の力を借りながら若き日の父や、美しかった恋人と再会を果たしていく幻想的な物語。

ゴーストたちとの再会シーンでは「海の嘆きのサラダ」等ネーミングも楽しい奇妙でユニークな食卓もみどころ。

□11/6(金)◇レッド ヴァイオリン(渋谷ジョイシネマ)*日比谷シャンテ他にて公開予定ゲスト:監督 フランソワ・ジラール、プロデューサー ニヴ・フィッチマン東京国際映画祭 最優秀芸術貢献賞受賞

【作品内容】

カナダ。通称「レッド ヴァイオリン」と呼ばれる名器が今まさにオークションにかけられようとしている。その中には有名な鑑定士や中国からのバイヤー、イギリスのとある財団、電話参加のイタリアの修道会が買い付けに来ている。

彼等は何れもこのヴァイオリンとどこかで因縁のある人々だ。17 世紀にイタリアのマエストロが妻アンナの出産に作製したヴァイオリンだったが妻は死亡し、だがその魂は彼女をみた占い師の予言通り4世紀にも亘って5ヶ国もを旅してきたのだ。

この名器を手にした者は皆運命に翻弄されてきたが、様々な憶測が飛び交う中、鑑定士は極秘裏の調査で名前の由来とそこから「本物」である事を確信する。

オークション後このヴァイオリンの旅は終焉するのか。美しい映像と音楽、それにミステリーが加わって多方面から楽しめる映画だ。

【ティーチ・イン】

・5ヶ国に亘るヴァイオリンの旅だが、舞台がこのように何カ国にも及ぶ時はよくアメリカ映画等では国が異なっても全て英語の台詞を使う場合が多い。が、この作品では全てその国の言葉を使用した訳は?

言語や音楽はその国固有の文化の一端。監督もフランス系カナダ人で 20才から、製作のフィッチマン氏も8才から英語を覚えたが、国の文化紹介には言語から入るのが一番早いと思うので。

現地スタッフとも言語の点は多少不安を感じたが、一つの作品つくりという共通性があったので何とか乗り越えられた。

・撮影秘話があれば

中国での撮影許可が難しかったが、この地をラストにスタッフ一同家に帰れるので嬉しかった。また、作品中の文化革命をリアルタイムで生きた人々も出演してくれてその頃への思い入れがあって良かった。

・ヴァイオリンは「無伴奏・シャコンヌ」はじめ題材として取り上げられる事が多いし、この作品とよく似た内容の著作物もあるが製作に当たってそうしたものは参考にしたか

この作品は5年前から温めていたのだが作品化にあたってリサーチ中アシスタントが偶然この作品によく似た小説「アントワネット」をみつけた。が宝石や車や様々なものが時代を経て色々な人の手にわたる話は多々あるので著作権侵害等にはならないだろうと作品化に踏み切った。

・ヴァイオリン演奏のジョシュア・ベルは作品に出てくる少年の音色も含め全て彼一人の演奏か

ジョシュア・ベルはニューヨークの若手ヴァイオリニストで今回の音楽は全て彼の手による。ただ、リアル感を出すためにオーストリア編の少年は9才で俳優ではなく実際にヴァイオリンを弾ける子を起用。

・レッドヴァイオリンは様々な人の手に渡った末、このラストでは鑑定士の娘の処で落ち着くように見えるがこの楽器の旅はここで終わりになるのか?

製作のフィッチマン氏の答えはシリーズものをつくれるので終わりにしなくても、、、というもの。

監督の答えは「アンナの魂が彷徨した挙げ句このヴァイオリンを知り尽くしている鑑定士の手に渡ってはじめてやすらぎを見いだせたとも考えられる。続編はどうかな?」

・カナダ出身の監督にはクローネンバーグ、A.エゴヤンはじめユニークな人が多いが。

映画産業に於いてアメリカはカナダもほぼ国内と同じように考えて、カナダ独自の映画を無視している。アメリカの介入で才能が開花出来ないでいる人も多くいるのでユニークでなければ対抗できないからこうした人々が出てきたのではないかな。 

*中国での撮影許可の困難さは近頃公開されたR・ギア主演の「レッド・コーナー」でも内容の過激さもあって国内での撮影は許可されず、とうとうカリフォルニアに巨大な中国の町並みを再現してしまったという話を聞いたばかりだったのでよくわかった。

また、ボリビアの監督の話といい、どうもアメリカのフィルム統制は各国で障害をももらたしているようだ。

シネマプリズムのビデオプログラム「ヨーヨー・マ」のシリーズにも出品している2人は前作「グレングールドをめぐる 32 章」に引き続き今回もコンビを組んでいる。フランス系カナダ人で小柄なジラール監督とテルアビブ生まれで大柄なフィッチマン氏。穏やかで気さくな2人だった。

舞台挨拶の時に「今日は平日なので来ている人は仕事をさぼったのかもしれないが、映画を見ればさぼったことを後悔しないでしょう」と言っていたので、あとでロビーで「今日は貴方の映画を見るためにさぼりました」と言うと「それは大正解。会社へ行くよりずっと有意義だったね」とにっこり。

フィッチマン氏に「お2人は音楽に関する作品を撮られているけれど、何故音楽にこだわるのですか?もしかして音楽家になりたかったのですか?」と聞いたら「僕は楽器はやらないけれど音楽が大好き。フランソワはピアノを弾くんだよ。

「ヨーヨー・マIII」は僕も監督をしているんだ、ほらね。」と嬉しそうにカタログを開いて自分の名前を指してくれた。

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◆2)特別招待作品

□11/1(日)◇イン&アウト(オーチャードホール)’98 12/19~テアトル西友他にて公開ゲスト:ジョーン・キューザックの予定が急遽来日キャンセル。来日出来なくて残念というメッセージを襟川クロが代読。

【作品内容】

12 月半ばの公開が決定しているので既にチラシもでまわっていて内容はその方がよくわかるかもしれないが、、、

ハワードは生徒に人気の先生。卒業生のキャメロンは俳優で今年のアカデミー男優賞の有力候補。見事受賞した彼のスピーチでこともあろうに「ハワード先生はゲイです」と爆弾発言。彼との結婚を3日後に控え3年間プラトニックな関係を守り続けながらけなげにダイエットに励んでいた同僚のエミリー先生もこれには吃驚。学校、地域を交えての大パニックに。そこに実は本物のゲイのリポーターがやってきて大混乱。そして結婚式当日。

*ケビン・クラインはご贔屓の役者だし、「トイズ」でお人形を演じたジョーン・キューザックの可愛らしさったらなかったし、結構期待していたこの作品。

アカデミー賞授賞式シーンではキャメロンを演じるブロンドのマット・ディロンも変なら、ノミネート作品自体パロディだし、列席者の中にカメオ出演を探すのも面白いし、何よりノリノリのケビン・クラインを中心に(彼のダンスは一見の価値あり!)

突然ゲイの息子を持つことになった母役のデビー・レーノルズ、やや神経症的なジョーン・キューザック、ハワードの唇を奪うトム・セレック等芸達者が揃ってややオーバーアクションながら文句なく笑える。タイトルは「イン」が「クローゼットランド」のクローゼットと同語でゲイの隠語から。

ただ、最後まで謎だったのはそもそも何故キャメロンがハワードをゲイと言ったか、、、なのだが、先日、監督のフランク・オズの話を聞いていたら「フィラデルフィア」でアカデミー賞を取ったトム・ハンクスがステージで似たような発言をしたことがあって脚本家がそれにヒントを得たらしいとの事だった。

この作品では普段マッチョなトム・セレックのキスシーンはベストキス賞にノミネートされたという事だが、、

K・クラインもそこへの質問が多かったようだ。しかし、さすがの彼。答は「普通のキスの撮影と一緒だったよ。ちゃんと歯を磨いて臨んだだけさ。仕事だからね。」クライマックスの卒業式のシーンでは誰もが、女の子までが、、、ゲイのカミングアウトをするのだが、このシーンを見ていたら、ふと「レニー・ブルース」という古い映画を思い出してしまった。

過激な言葉を連発し、大統領までこきおろした芸人レニーが、「ニガーって言葉だってみんなが使わないからそうする事で差別用語になってしまう。

でも日常的に使えば差別でも何でもなくなって普通の言葉になるのに」というシーンがあって言葉が変わるだけで何時の時代も同じだな..何て。

それにしてもゲイの好みという事でやたらにバーブラ・ストライサンドの名が出てくるのだが、これってゲイを語るキーワードなのだろうか?誰か教えて、、、

◆3)シネマ プリズム

□11/1(日)◇オール・ザ・リトル・アニマルズ(渋谷エルミタージュ)*公開未定ゲスト:ジェレミー・トーマス監督

【作品内容】

ボビーは子供の頃の事故が原因で軽い障害があり、今でも定期的に通院をしている。母が亡くなってからは抑圧的な継父のもとで暮らしているが、ある日母の遺産の店の経営権の放棄を迫られる。

生前母に決してサインをしてはいけないと教えられていた彼は、署名に抵抗したため可愛がっていた鼠を殺され着の身着のまま家出をしてしまう。

ヒッチハイクしながら祖母の元を目指している途中、道路に飛び出した動物を故意にはねようとした運転手と揉みあううち車が転倒、そこへ不思議な老人が現れ、そんな悪い人間は死ぬに任せて放っておけという。

過去に何か陰を背負って生きているサマーズというその老人は、交通事故で死んだ野生動物達を葬ってやる仕事をしている。

ボビーは老人の仕事を手伝いながら森の中で彼と暮らし始める。父との間に決着をつけるべくサマーズと共にロンドンへ戻るが、、、

【ティーチ・イン】

・映画化へのいきさつを

原作者は 1972 年に亡くなるまでに小説は2作のみという寡作な作家で、この作品はごく初期のもの。約 30 年程前の 20 代でケン・ローチのアシスタントをしていた頃に作品と出会い、いつか監督をする時には最初の作品にしようと決めていた。

・何故映画化まで30年も経ってしまったのか。

初めての製作作品「シャウト」の成功後、自分の作品の製作となるとどうしても夜しか活動出来ずプロジューサーとしての仕事に流されてしまって年月が経ってしまった。

・今回は審査員長としての来日なのに自身の作品も観客である我々に審査させてくれて嬉しいが、もし 20 代の頃映画化していたら今と違った作品になっていたか。

当時は自分自身や子供の未来を念頭にエコロジーを考えいたが、今のように内容を深く掘下げることが出来たか分からない。映画を創ろうと思ったエネルギーは当時と同じだと思っている。

また、これまで素晴らしい監督達と多くの経験を積めた事は大いにプラスとなった。脚本は妻が担当し、そこから得た事も多かった。多くの準備期間を経て映画は完成するものかもしれない。

・原作と脚本との違いは

1968 年の作品なのでこれを現代に置き換えた。1968 年といえばヒッピーの時代と言われる頃だが、現代の若者にも通じるものがあると思う。また、原作はボビーの主観で展開するがこれを内容的なものに採用し、物事をすべてシンプルな対称、例えば太っている人(継父=悪 対 痩せた人(サマーズ)=善、サマーズのいる田舎=良い 対 ロンドン(都会)=良くないといった具合に分けている。

・現代に置き換えたとはいえ、何となく 60 年代の感じがするが。

音楽を担当したリチャード・ハリーと2人で「ここには 60 年代の香りがあるようだね」とよく言っていましたが、1968 年は自分が 19 才の時で無意識にその頃の感じが出てしまったのかもしれない。

・ロケ地がマン島になっていて全体的にケルトっぽい感じがするが特に意識したのか。

マン島はこの作品の資金源となった場所であり、何となく古い雰囲気を漂わせている事とと音楽もケルトっぽくしている。

・ボビーがラストで継父を殺害するがこれはエディプスコンプレックスの表現とみなしてよいのか。

継父を殺す事でボビーの中の悪魔的なものが去ったとも考えられるが、登場人物は全てちょっと変わったモラルを持っている。サマーズは聖人として描かれてはいるものの過去には妻を殺害してるし、ボビーに言わせれば彼の亡くなった母親は継父に殺されたわけで対極に位置する筈の2人だが、妻殺しという共通点を持っている。

*審査委員長作品の特別上映なんぞ銘打っていたのでさぞかしチケットは売り切れてしまったかと、当日は慌てて並んでみたものの結構空席が目立っていた。

監督自身はとても落ち着いた雰囲気の人で、質問にはよく考えながら誠実に答えていてとても好感が持てた。コーンウォール地方の厳しいが美しい風景と監督の人柄がダブって見えた。

英国映画祭でも「ラブ&デス」に出演していたジョン・ハートはここでも風変わりな老人を好演している。やはり英国映画祭の「ベルベット・ゴールドマイン」で来日予定だったクリスチャン・ベールがボビーを演じているが、事故の後遺症のせいもあって保護され、空想の世界で生きてきたひ弱な存在でしかなかった青年が徐々に成長しいく微妙な演技もなかなかだった。 

蛇足ながら、打ち合わせの為か、終映後のロビーにケノビッチ監督らが来ており、毎年審査員にはお目に掛かる機会がなかっただけに(特に彼のファンの私としては)少しでも話が出来たのは嬉しかった。

□11/7(土)◇恋の秋(シアターコクーン)*日比谷シャンテ他にて‘98 11/28日~公開ゲスト:ベアトリス・ロマン(女優)

【作品内容】

エリック・ロメール監督の四季シリーズ完結編。マガリは離婚後一人で葡萄園をきりもりし、美味しいワインつくりに燃えている。息子の恋人が唯一の手伝いだが、不思議と彼女との相性が良い。

そんなマガリを心配して彼女は以前つきあっていた哲学の教師を紹介すべくお膳立てをする。一方マガリの親友イザベルは内緒で新聞の交際欄に掲載。

応募してきた中年の紳士と打ち合わせの為数回会い、娘の結婚式での出会いを設定する。当日、何も知らないマガリだったが、この出会いに何か不自然さを感じとり親友を問いつめる。隠し事をされた事に一度は腹をたてるが、、、

【舞台挨拶】

作中と同じぼわぼわのソバージュで現れたロマンさん。エリック・ロメール監督との仕事が多い彼女は監督の人柄等を質問されるが、「この質問がくると思っていました。やはり来たのですが、心の準備が、、、」と言いつつ「本をよむのが好きです」とか何とか..何だかよく分からない受け答えだった。

終映後も是非一言観客に言いたい。と言って再登場したもののやたらに「ありがとう」を連発しただけ。写真撮影タイムには舞台でいきなりしゃがみ込んでしまったり、結構お茶目?

*20 分前の開場だったが2時間前位から長蛇の列で、入場してみると2階席までびっしりの人気プログラムだった。70 代の監督の若々しい感性が定評だが、今回は中年期にさしかかった大人の女の恋心を描き、人間、恋は年齢じゃないのね。という元気の出る作品だ。

最後に流れる音楽を聴くだけでも観る価値あり。お見合もどきな事は珍しいお国柄、それをあえて描いている点も面白いがハッピーエンドを予見させるエンディングながらマガリの心の揺れが見ていて微笑ましい。四季シリーズの最後をちょっと枯葉色のイメージに実りのイメージが加わって友情と恋と美しい風景の秋で締めくくったロメールの粋。

*シネマプリズムではこの2本の他に、11/8(日)のカザフスタン映画「殺し屋」を見る予定だったが、フィルム未着で払い戻しになってしまった。(この時払い戻しの憂き目に遭った人々は12/17と19に京橋での上映の通知が来ました。観賞後にまたレポートする予定)

鳥野 韻子

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◆4)協賛企画:カネボウ国際女性映画週間(シネセゾン渋谷)

□11/1(日)◇輝きの海:オープニング作品’99春公開予定ゲスト:プロデューサー ポリー・タプリン

【作品内容】

今世紀初頭のイギリス、コーンウォール地方。断崖の上から子供の手をひき海を眺めている女。

彼女は足の傷で苦しむミス・スウォファーについて看病を続けようとするが、医者が彼女を遠ざける。子供はヤンコの忘れ形見。ウクライナから一族の期待を担って出発した船は難破。

ただ一人の生き残りとしてたどり着いたこの村で出会った孤独な少女エイミーと彼は排他的な周囲にめげず結婚。が、嵐の晩言葉の壁がヤンコの命を奪ったのだ。

はじめからヤンコに好意的だった医者もエイミーが彼を見捨てたと思って嫌っていたのだが、スウォファーに語るうち彼の心も氷解していった。

【舞台挨拶】

この話は舞台を 100 年以上昔にしているが基本的にはラブストーリー。しかし愛は国境や人種、時代に無関係だと言う事を描きたかった。ジョゼフ・コンラッドの原作を脚本化し、作品にするまで約3年間かかった。

本来なら監督のビーバン・キドロンも来日したかったのだが、彼女は映画制作中に妊娠、出産して果たせなかった。彼女は以前も制作中に妊娠、出産を経験している。

*女性映画週間のオープニングという事もありゲストが一同に舞台に上がったが、フィリピン映画の中で助産夫を演じたということで今年は初めて男性も加わり喝采を浴びていた。

ヒロイン役のレイチェル・ワイズは英国映画祭では「アイ・ウォント・ユー」でもヒロインを演じており、そのミステリアスな美しさにこの作品ではどこか凛とした強さの加わった演技でなかなか良かった。足の傷のためじっと動かず物語の進行役となるキャシー・ベイツや、医者のイアン・マッケランといった演技派そろいの作品だ。

相手役のヴァンサン・ペレーズも今回はロシア人の役で、言葉が通じない分表情や仕草での表現を要求され、真に迫った演技を見せている。難破船でたった一人生き残ってしまった悲しさと彼女への優しさをたたえた目の表情には女性ファンをまた増やすかもしれない。

6月のフランス映画祭での彼の人気からしてチケットの売り切れを心配した私は発売日に購入してしまったが。ラヴストーリーとしては特に目新しさがあるわけでもないが、結構泣かせる。

この監督の作品は「迷子の大人たち」や「3人のエンジェル」があり、現実を描きつつもどこかメルヘンを漂わせていて可愛いところがあるのだが今回の作品はそれらに比べると重たい仕上がりになっている。

原題は Swept from the sea。幼い息子に人間は皆海から来る、あなたのパパもここから来たの、と説明するが小さい村の中で外国人やちょっと他人と異なっているというだけで、村八分になってしまう心の狭い人間に比べ海は何と寛大な事か。

コーンウォールの美しい風景と残酷な人間の心理が対照的だ。

□11/2(月)◇自由な女神たち’99春公開予定ゲスト:なし

【作品内容】

デトロイトに住むポーランド系の大家族。父はヘビースモーカーのパン屋。母は掃除婦として働きながら7人の子供に孫の世話、しかしまだまだ色香は衰えず不倫までしている元気者。一人娘のハーラは思春期真っただ中。幼い弟と煙草をふかし毎晩窓から家を抜け出しては夜遊びの毎日だ。

そんな中夜道で知り合った警官と恋に落ち妊娠。カトリック教会の行事で未婚女性の代表に選ばれていたハーラは妊娠を隠して出席して騒動に。その相手が結婚を拒否しようとしたので一家を上げて抗議に乗りだし、めでたく結婚。

実はハーラの母も長男の妊娠で結婚、その長男も子供が出来たので結婚していた。こうした逞しい女性達を中心にまた大家族になっていく、、、

*11/1~2は女性監督の特集という事で、この作品の監督もこれが初監督作品になるという事だった。平日の最終回だったが座布団+立ち組で場内大混雑。立ち見も断られる人まで出た。

まだこの映画祭がこんなに過熱する以前に知り合いに連れてきて貰ったのがこの女性映画祭だったのだが、平日の最終回などは空席が目立ちぎりぎりに滑り込んでも余裕だったのにここ数年で観客が倍増している。

原題は Polish Wedding。祭りのシーンの音楽等も独特で、ここがデトロイトと知らされていなければとてもアメリカの映画と思わなかったかもしれない。

子供の出生で繋がっていく大家族。子供を産み育てていく逞しい女性達。オープニングでずっと流される聖母マリアへの賛美歌が彼女達へのエールのように聴こえたのは私だけだろうか。

音楽といえば落語の出囃子のように各登場人物のテーマが決まっていてこれがなかなか面白い。いつも煙草を耳にはさみ、無駄口はきかず何事にも飄々としていながら内心はナイーヴな父親にガブリエル・バーンが扮し、とてもいい味を出してる。そんな父が大好きな娘のハーラにクレア・デーンズ。子役出身だという事だが、ディカプリオとの「ロメオ&ジュリエット」以来大ブレーク。その後も「レインメーカー」等に出演し、演技力も伸びてきている。

肝っ玉おっ母さんのレナ・オリンは「蜘蛛女」の迫力そのままに一家の中心的存在にぴったり。丁度この映画祭と時期を同じくして開催されていたオランダ映画祭でも「ポーランド人の結婚」という作品が上映されたが、こちらは寡黙なオランダ人と訳ありのポーランド人の女性の結婚を淡々と美しいオランダの風景の中に描いていて対照的だった。

□11/3(水)◇パッション・フィッシュ’99夏公開予定ゲスト:プロデューサー マギー・レンジ

【作品内容】

昼メロを病室で眺めている女性。出演者は彼女自身。彼女、メイ・アリスは事故で下半身不随になってしまい、退院後は故郷のルイジアナで過ごすつもりだ。

家にたどり着いたものの絶望した彼女は一日中アルコール片手にテレビを見るだけ。家政婦を雇っても人生相談を聞かされるばかりだし、彼女自身の我侭もあってなかなか居着かない。

そんな中かつての麻薬中毒を隠して新しく看護についたシャンテールとはぶつかりながらもうまくいきそうだ。彼女はメイ・アリスの為に家とその周辺を車椅子に適した状況に変えていき、その甲斐あってか頑ななまでに外出を嫌っていた彼女も父の残した暗室を使って写真を趣味にするようにまでなる。

幼なじみのレニーと川遊びに行ってそこで「パッションフィッシュ」を見る。そんな頃彼女に女優復帰の話が持ち込まれるが、、、

*私事だが、ここ数年岩波ホールの“エキプ・ド・シネマ”になっていて女性映画週間では毎年会員の希望で招待券が入手出来る。実は今回一番見たかった映画がこの作品だったのに、残念ながらこれだけは招待券が出なかった。

また、この日はかなりタイトにスケジュールを組んでいたので折角購入しても無駄にするのが怖かったのだが、たまたま初日にこの主催の高野悦子氏とお話する機会があって、その折にタイトルに無関係で入れるという夢のようなチケットを頂いてしまったのだ。

しかもペアで。勿論高野氏とはそれまできちんとした面識はなかったのだが、お陰でこの作品も友人のシート確保作戦もあって見ることが出来た。この場をお借りして高野氏に感謝申しあげたい。

さて、この作品は上映時間が2時間以上なのだが驚くほど長さを感じさせない。特に華々しいクライマックスもないのだがすっかり引き込まれてしまう。

メイ・アリスの最初の頃の絶望からくる行動、そして心の癒し、、、内容は全く別物ながら何となく「モンタナの風に吹かれて」を彷彿とさせる。

それにしても彼女がテレビ漬けの毎日の中で見ている映画が何と「何がジェーンに起こったか」暗い怖さの演出。そして所々に散らされたユーモア。ユーモアって「にも拘わらず笑うこと」とある哲学の先生が定義していたが、そんな上質のユーモアだ。

この日は女性プロジューサー特集という事で来日したマギー・レンジ氏は長年ジョン・セイルズ監督と仕事をしてきたという人。パンフレットの写真よりはるかに美人で大柄な女性だった。

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□11/3(火)◇黒い雨ゲスト:監督 今村 昌平、プロデューサー 飯野 久女優 田中 好子

【作品内容】

井伏鱒二の原作の映画化。広島に原爆投下されてから5年後の小さな村で叔父夫婦と暮らす矢須子。投下当日は爆心地から離れた処にいたもののいわゆる「黒い雨」を浴びてしまったためかなかなか縁談がまとまらない。

原爆症で悩む近隣の人々は次々とあっけなく死んでいく。あんなに元気で働き者だった叔母まで犠牲者になった。そんな折、臀部の小さな腫れ物にはじまった矢須子の身体も髪の毛が抜けだし、徐々に蝕まれている事がわかる。

そんな彼女の心がやすらぐ時は戦争で精神バランスを崩してしまった近所の青年との語らいだ。「条件の良い」縁談より彼との結婚を望むようになっていた矢須子の容態が急変し、彼に付き添われて救急車で病院へ連れて行かれる。その後ろに「きっと治るよ」と祈るように呟く叔父の姿があった。

【舞台挨拶】

監督 今村 昌平この映画について被害者意識が濃厚だとか色々言われたが、20 万人の犠牲者を出したのは事実なので何と言われてもやはり伝えて行かなくてはいけない事だと思う。

製作 飯野 久映画化に6年の歳月がかかり、今村監督が撮影している間にも東京とを往復して資金集めに奔走していた。今回今村監督作品の上映というので、「うなぎ」にしようか、今上映中の「カンゾー先生」にしようかと迷ったがやはり 10 年前とはいえこの作品を選んだ。

女優 田中 好子撮影当時の思い出といえば監督はあんな優しいお顔をされていて、とても厳しい方で撮影は岡山のふるさと村で長期に亘り敢行されたが、その間たとえフリーの日でも現場を離れさせてくれなくてちょっと大変だった。自分は矢須子を演じさせて貰って成長したと思う。原爆のような悲劇は2度と起こってはいけない。

*この作品の前には「パッションフィッシュ」を見ていて、実はこの日は翌日会社という事もあって打ち止めにするつもりだった。が、高野氏にチケットの御礼を言いに行ったら「貴方、今日のご予定は?」と仰るので帰るのみ、と申しあげると「是非次の作品もご覧になってね。」とまたチケットを頂いてしまったのだ。

「黒い雨」は中学生の頃原作の一部を読まされたり、以前テレビで放映した際もちらっと見たりしていたのだが、どうしても途中で怖くなって最後まで見通せなくていた。

画面上とはいえ、痛い事をしているシーンには弱い。当然スプラッターやオカルトものはだめだが、非現実的な分救われる。が、セットとはいえこの作品のような実話の再現は辛い。現実の方がもっと残忍だったに違いない事を想像してしまうからだ。

その日も最後に見るにはあまりに重たいし、と後込みしていたのだ。だが、こうなっては最早逃げられない。覚悟を決めて見ることにした。テーマとしては重いのだが、今村流のユーモアが散りばめられていて全体的にメリハリのある作品に仕上がっている。

田中好子さんの言葉通り、監督は舞台挨拶でも優しいお顔をしてさらりと重い事を言ってのけられる方なのでやはり作品にもその人柄が反映されるのだろう。

杖をつかれてのご登場だったがしっかりとしたお話ぶりだった。昔の作品のせいか、方言のせいか多少台詞で聞き取りにくいところもあったが、英語の字幕のお陰で理解したりした。映画の中で原爆症にアロエが利くといって病院が薦めるのだが、戦後5年位で既にアロエがはいっていたなんて、と吃驚してしまった。ちなみに英語ではただ Herbal となっていた。

鳥野 韻子