山崎剛太郎(字幕翻訳)第3回

※さて、ここで、先生が手掛けられた主な作品を挙げて見ると

「スワンの恋」「大いなる幻影」「さよなら子供たち」「満月の夜」「海辺のポーリーヌ」「抵抗」「バルタザールどこへ行く」「悪霊」等ジャンルも時代も様々。

逆に今村昌平監督の「楢山節考」「黒い雨」、小栗康平監督の「死の棘」等、日本の映画を海外用に翻訳されてもいる。海外の映画祭では必ずその国の原語で参加する事が原則なのでだそうだ。

また、ビデオ収録作品には「溝の中の月」「ダントン」「青い麦」等。テレビのそばのラックを拝見しただけでも、その他「モンド」「カンフー・マスター」といった作品が並んでいた。

レンタルビデオ店に行ったら、ビデオのカバーを注意して見て欲しい。「字幕」というところに先生のお名前をいくつも発見出来るはずだ。

3)映画周辺:お好きな映画、監督、俳優等について

※こんなに多くの映画を翻訳されているわけだが、先生ご自身がお好きな映画をお聞きしてみた。

まず、「ゲームの規則」。これは当時東京新聞で『字幕がきびきびしていて良かった』と批評が載ったそうだ。それから、「スワンの恋」「田舎の日曜日」「プロビデンス」「モリエール」「ピロスマニ」。やはりヨーロッパ映画が中心とはいえ、今でも1年に約50本は映画を御覧になられる先生、その中には邦画も含まれている。

ちなみに昨年の東京国際映画祭では「おもちゃ」と「あ、春」などを御覧になられている。小栗康平監督作品の「泥の河」などは庶民の描き方などに、フランス映画に見られるようなセンチメントがあるし、また、大島渚監督の「愛のコリーダ」に見られる番傘の見せ方などには日本独特の映像美があり、そういった点では非常に感心されたそうだ。

映像美といえば、中でもマルセル・カミュ監督の「黒いオルフェ」はモノクロの本当に美しい作品で、繰り返し御覧になられたほどお好きだそうだ。白黒の画面がカラーにはない深みを生み出している。リオのカーニバルにオルフェ伝説を重ねた1959年の作品で、監督は寡作な人であったが映像とともにその音楽の美しさはまた秀逸で忘れられない作品だそうだ。

※そのリオにもお仕事でいかれた事があると仰る先生は、実は始めから字幕翻訳のプロとしてスタートされた訳ではない。ここで少し先生のプロフィールを御紹介しよう。

大学をご卒業後、10年間外務省に勤務され、その間アメリカ、仏領インドシナはじめ、中南米にもいらした。どうも役所に向かない様な気がして?退職後東和映画社の制作部に籍を置く傍ら、母校、早稲田からの依頼でフランス語の講師、日仏学院でビデオによるフランス映画史、慶應大学で映画の講議、と先生のお言葉に拠れば「1月に1度位しか家で食事出来ない程、良く働いたものだ」そうだ。

こうした間には様々な監督や俳優等とも御会いになられている。実は今回のインタビューも、1953 年に開催された第1回フランス映画祭で来日したアンドレ・カイヤット監督、ジェラール・フィリップ、シモーヌ・シモンの通訳をなさっている先生のお写真を拝見しながらはじまったのである。ジェラール・フィリップといえば、36歳で惜しくも世を去った、毋たちの代では二枚目の代名詞だ。

このところ彼の特集上映があり、生前の彼を知らない私達でも、その演技の素晴らしさが堪能出来るようになった。

※そこで、まず、このジェラール・フィリップを手始めに彼に関する先生のお話と、また御自身がお好きな俳優、監督等について話していただいた。

「昨年11月に彼の娘で女優のアンヌ・マリーさんが来日した際、彼女を囲んでジェラール・フィリップ映画祭の主催者で、その映画祭を開きたいばかりに会社(セテラ)を設立したという山中社長とジェラールのファンクラブの人たちと茶話会に出席しました。

この時アンヌさんは挨拶の中で『映画は影だ』と言ったので、そのまま訳して『しまった!』と思いました。彼女のこの言葉は『あくまでパパは舞台人。肉体を駆使した生の舞台が彼の本領発揮の場なのです。』という意味だった。彼は映画人である前に舞台人だったから、国民劇場を創設したし、今でも彼の名前の付いた劇場がフランスのあちこちにあるわけです。

今は彼を知る人も少なくなってきてとても残念だけど、彼はハンサムなだけでなく演技は本当に巧い。真の意味でのコメディアンです。声も良かった。彼の朗読した『星の王子様』は美しい声で、レコードは今でも持っていますよ。朗読といえば来日した時も舞台でラシーヌの詩を朗読したんです。

彼自身は、対で話してみるととてもきりっとした人柄で、変におもねったところがなく素敵でした。この来日時、黒澤監督の『虎の尾を踏む男達』が見たいというので、試写室に同行しました。

日本側から、フランス語が付いていないので所々説明して欲しいといわれたのですが、ものの5分も訳したところで、彼は『大変申し訳ないですが、訳はもう結構です』と言い、自分なりに鑑賞したいようでしたね。

彼の作品でジャック・ベッケルの『モンパルナスの灯』はとても好きです。これは当初マックス・オフュルスが監督する予定がキャンセルになり、急きょベッケルになったものです。

この作品で感動したのは、主人公のモジリアニが施療院で死ぬと、リノ・バンチュラ演ずる画商モレノが早速モジリアニの家に行って絵を全て買い付ける。この時、画家の妻にお金を支払おうとすると、彼女が『お金が必要なのではありません。彼には勇気づけが必要なのです』といって受け取らない。

この台詞が良くて。フランスに行った時モジリアニの住所を探したこともあるけれど、わからなかった。」

先生は以前、講談社から「映画よ、夢の貴公子よ、フィリップの回想記」という本を刊行されていて、今回の娘さんの来日でお手元の2冊のうち1冊をあげてしまわれたのだそうだ。

父が亡くなったときはほんの子供で、彼の枕元で遊んでいたというアンヌ・マリーさんも、自分より、ある意味では社会人としての父を知っている山崎先生のお話は嬉しかったに違いない。

彼の朗読で、声について触れていらっしゃるが、やはりこれだけ翻訳をされていると、例えばフィリップ・ノワレなど声で俳優が分かったりするのだそうだ。喋るアクセント等で文体が決まることも多いので、これはとても大切な要因という。

ジェラール・フィリップを継ぐ俳優は今フランスにいると思いますか?と伺ってみたら「タイプは全然違うけれど、ジェラール・ドパルジューなどはいい線いっているのでは」との事だった。

※しかし、先生にはジェラール・フィリップとは別に大好きな俳優がいる。

「実はルイ・ジューベが大好きでね。この人は真の意味で舞台人だと思います。あの独特のマスク(御存知の方も多いとは思いますが、目のぐりぐりしたとても個性的な俳優です)も好きだな。

『女だけの都』や『どん底』の男爵役、印象的な役柄で数多く出演している。

『舞踏会の手帖』では怪しげなナイトクラブのボスを演じた。昔、舞踏会で踊った相手を探しているクリスチーヌが彼を尋ねて来ると、彼女にヴェルレーヌの詩『感傷的なお喋り』を朗読する。『孤独な凍てつきし庭。ふたつ影通り過ぎぬ。そなたの唇は凍えて・・・』というと、クリスチーヌがあとを続ける。

そこへ警官が踏み込んできて彼を逮捕する。と、彼は『引かれて行くのはジョーだよ。クリクリ、ピエールは君に置いていくよ』と言うんだね。彼は本名がピエールなんだけど、ナイトクラブのボスになってからの名前がジョーなのね。素晴らしい演技だった。」

※今度は、今迄御会いになられた監督の中で印象的な方を伺ってみた。

「パーティで会ったりした事が多いから、そんなに突っ込んだ話は出来ないですよね。古くは、ルネ・クレマンにもルネ・クレールにも会いましたけど。最近はアニエス・バルダ。

でも彼女はちょっと怖いね。日仏学院での『百一夜』の上映後、彼女が入って来たので、皆が拍手したら、『貴方方は映画が終わって拍手しないで、私が入って来たら拍手した』って怒ってる。

自分の映画に対する拍手は嬉しいけど、これでは映画があまり評価されなかったと思ったらしい。その後のパーティにも誘われたけど逃げちゃった。あの人の作品で『歌う女、歌わない女』というのがあって、字幕もつけたけど、KK ベストセラーズに依頼されて夜も寝ないでノベライゼーションしました。原稿 300 枚位だったかな。自分で翻訳した映画を思い出しながら書きましたよ」

先生は翻訳書も手掛けられ、この他にも「ゴダール・シナリオ全集」「昼顔」「映画のセットの歴史と技術」といった訳書がある。ちなみにゴダールの「勝手にしやがれ」のテレビ版は先生が字幕をつけられたそうだ。

※映画を通じて知り合った方の中には、あの淀川長治先生もいらした。ただし、このお二人の出会いはそう楽しいものではなかったらしい。

東和映画にいらした時、チャップリンの版権をここが全て買った。そこで、その予告編を作製するにあたり、川喜多社長の提案で淀川先生にやって頂いたらどうかという事になった。

それを受けた、制作部の山崎先生は当時プロデューサーシステム(ひとつの映画を輸入から日本版制作まで全てひとりに任せる)を採用しており、部下のひとりにこの件を依頼された。ところが、その部下が相手の意向もお伺いしないような失礼な電話を、一方的に淀川先生にしたため、「失礼ではないか」という電話が社長に入った。

そこで先生が謝まられたのがきっかけという。以降は試写室で会うと挨拶したりの仲になって、それは淀川先生が亡くなるまで続いたそうだ。

鳥野 韻子

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