山崎剛太郎(字幕翻訳)第4回

制作・監督

4)その他のご活動等

以上は主に映画を通しての先生のお仕事についてだったが、先生には別の顔もお持ちである。

それは小説家としてのお顔なのだが、以前出されたご本のタイトルは「薔薇物語」。

綺麗な布貼りの表紙にすっきりしたサックの美しい本だ。雪華社から昭和60年に刊行されたもので、発行日が何と7月14日とフランスがお好きな先生に相応しいところも興味深い。

帯に『虐殺された作家の・・・』と書いてあったので、良く読まないで誰かモデルがいたのか、とお尋ねしたところ、この「作家」とは御自分の事だそうだ。

その頃マルセル・プルーストに傾頭していて、その影響が色濃い作品らしい。この本の推薦の言葉を書いている面々がこれまた凄い。高野悦子さんのように、すぐお顔まで思い出せる方もいれば、昔国語の教科書で教わったような、中村真一郎氏や加藤周一氏、矢内原伊作氏の名前まで見える。

矢内原氏とは一時住んでいた鎌倉での知人、中村氏に至っては亡くなる迄親友で、とうとう納骨のために霊園にまでつきあわれたという。親友の死にはとても寂しそうなお顔だった。

それにしてもこの推薦文に出てくる、山崎先生の描写はなかなかで、どれも決まって『ダンディな』という形容詞がついている。現在でもそれは十分伺えるが、察するところ、かなり素敵な方だったに違いない。今も次のご著書に向けて準備中との事だ。

5)インタビューを終わって

日本で初めて字幕が登場したのは 1932 年の「モロッコ」で、フランス映画に限定すると 1936 年の「にんじん」だそうだ。その後60数年のうち40年以上も字幕と付合っていらした山崎先生。

小さい頃初めて見た映画はチャンバラだったものの、その後はフランス映画に夢中になった少年はとうとうこの世界でこんなに長い年月を仕事する事になったわけだ。

これだけの仕事をされてきた先生がしみじみ仰った「映画って本当に勉強になりますよね」という言葉にはとても深い重みが感じられた。時々映画の台詞を思い出してみたりするのも楽しいそうだ。これがまたすらすらと原文で出てくるのにも圧倒されてしまった。

そしてなお、映画への興味は尽きず、フランスにいらっしゃる今年16歳になるお孫さんが「タイタニック」で1時間以上も感激の涙を流したと聞けば、奥様を伴って銀座まで見に行かれる。(結果は「全然良くなかった」そうです。ちなみに昨年の映画祭でオープニングを飾った「アルマゲドン」に至っては「最初の10分でつまらなくなった」とか。)

また、話を伺っている私にも「ねぇ、今、渋谷でやってる『鳩の翼』っていい?家内と1度行ってみようかな」と仰る。この辺りがお若い秘訣なのだと思った。

先生の以前書かれていた文章の中に『映像による国際語とも言われる映画の字幕翻訳者の役割は独自の文化交流の担い手として決して小さくはないと自負するものである。』というのがある。

そこで、昨年の東京国際映画祭で上映された「レッドヴァイオリン」でのフランソワ・ジラール監督の言葉を思い出した。ヴァイオリンが巡る5カ国では、全てその国の言語を使用している。その理由は、やはり音楽とともに言語はその国の文化を紹介する上で一番の近道だというのだ。

さて、初対面で御自宅までお伺いして色々なお話を聞かせて頂く事何と4時間。映画への深い情熱、それでいて謙遜で物静かな語り口。そのお人柄にすっかり魅了されてしまった。

合間には御自分でコーヒーをいれて下さったり、地理音痴の私の為に大きなフランスの地図を前に説明してくださったり。帰りには陽が傾いて気温が下がってきた中をマフラーをふわっと羽織られ、駅まで送って下さった。翌週にはすぐ、色々な資料もお送りくださって、お疲れだったであろうに、神経のこまやかな素敵な方だった。

私だけが独占してお話を伺うのがもったいない位、色々な事が次々と飛び出てくる。

また、いつかお話を伺わせて頂きたいものだと思いながら帰路についた。

追記:この原稿が出来上がるまでには先生に、2度も確認の為チェックをして頂きました。

その度に丁寧なお手紙も添えて下さり、本当にお世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。有り難うございました。

鳥野 韻子