これが人生?

作品紹介

今年の一番はこれ。

まずこの映画は、前半と後半に大きくわけられる。前半、田舎の青年二コラ(エリック・カラヴァカ)とその家族、友人の間で繰り広げられる退屈なエピソードはごく普通の田舎を撮った映画の世界で、映画をたくさん観ている人達には退屈してしまうだろう。

ここをどうのこうのと言っても意味がないくらいに退屈ないくつかのエピソードを我慢して観ていくだけ。ひたすらこの後の為に人物関係を把握し、この田舎がどんな所かをイメージし、自分がそこに住んでいたかの様な想像力を働かせて後半に備える。

ただし、何度も言ってしまうがあまりその手助けにはならないひ弱な人物描写と、暗い映像には不満を感じる。こういった前置的な説明は様々な映画に見られるし、確かに必要な部分と言えるからそこを省くことも出来ないし、ここで退屈させない映画のみが傑作とよばれる様になるのだから、傑作の数少なさを考えると、いやはや難しい。

小説でも同じ事で、これは半分どうしようもないことなのかも知れない。編集しなおし、時間を10分もけずれば、テンポよく進んでいくのではないだろうか。(今後この映画の長さに関しても皆さんの意見を聞きたい。)

もちろん前半ということもありなんら考えることなく観つづける人もいるだろう。その場合、後半の圧倒的な美しさと迫力に、前半のことを忘れてしまうことだろう。そのうちスムースに話は流れ、後半に続いていく。

後半とは、祖父母と一緒に田舎暮らしを始めるあたりからだが、とたんに映像が冴えわたり、スト-リーにテンポがうまれ、人間性の捕らえ方が研ぎすまされていく。この変化はまるでニコラの心境の変化に重ねて描いているのではないかと期待してしまうくらいにもの凄い力を感じる。

ニコラが大人になっていくという事かもしれないし、自然の持つ迫力なのかもしれない。こう書いていると、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を思い出す。ストーリーは全く違うものだが主人公の心境にどこか結びつくものを感じる。

同時に、自然をバックに写し出される主人公ニコラやマリア(イザベル・ルノー)の体がまるで絵画の中の人物の様に美しく表現される。ミレーか、コローか、映像芸術といっても差し支えない名場面が続き、どっぷりとストーリよりも映像に浸ってしまう。まさしく、鳥肌がとまらないのだ。

これは決して監督の手腕だけでつくり出したのではなく、カメラ(撮影)をまわした日本人カメラマン(テツオ・ナガタ)の手腕が大きく、映画の中のカメラワークの大切さを感じさせるし、めったに映画を観ない人達でも簡単にカメラの重要性を理解できるだろう。

日本映画の貧弱なカメラワークと比べると、本当に日本人による撮影かと疑ってしまうのも無理ないだろう。

鍬で草を刈るニコラを前斜め下から仰ぎ見て撮る場面、マリアと2人で歩く秘密の場所の金色に輝く羊歯、潅木、土の美しさ。(ウッディ・アレンの「ブロードウェイと銃弾」でセントラルパークのベンチのシーンを思い出さずに入られない。)山の中腹から見下ろす谷間の煙り(霧)がかかる風景。実に美しい。しかもこの光量だと、テレビでは再生しきれないだろう。映画館だからころ表現されるこの深い色合い。決してテレビ(ビデオ)では理解出来ない深い感動が湧き起こっていく。

エンディングに関してもうなにも言う事が無い。見ていない人は必ず見なければならない名作の登場である。

しかし残念な事に、配給未定であり、実際配給されたとしてもいままでの例から考えると1年、2年先になるだろう。

その時また私も観にいくに違いない。

立野 浩超