ケス

監督:ケン・ローチ

★★★★★(満点)

映画を観終わった後、その映画が体に自然にしみこんでいくような感覚がある。女性と男性ではこの映画に対する(感想ではなく)感覚がかなり違うのではないだろうか。主人公が少年(ビリー)であり、女性で唯一でてくるのは母親という設定、子供のころの少年独特の行動が盛りこまれている辺りがその原因だろう。

さて、この映画はスタンダードサイズで撮影されている為、画面の幅がかなり狭い。しかしその為だろか非常にピントがあっていて、特に人物を追いかけるシーンでも常に画面全体がクリアに表現されている。これは非常に重要だ。いつも大きい画面(アメリカンビスタサイズ、シネスコープ)に見慣れている為テレビのサイズに近いその画面に迫力不足を感じる人もいることだろうが、幅の広い画面ではしょっちゅうピントのあっていないシーンに出くわし、その度に映画のストーリとは関係ないのだが興ざめすることがあるのは私一人ではなかろう。特に動いている人物を追いかけるシーン。人物が手前から奥に動いたりすればほぼ確実にピントがずれている。もちろん原因はサイズの違いから生じているだけではないが。

フォーカスだけではなく画面の美しさにほれぼれするシーンと言えば、ビリーが森を抜ける時樹上から撮影しているかの角度で彼を追っていくシーンと、芝の上でハヤブサを訓練するシーン。彼は遊びながら、かつ真剣に動きまわっている。その態度に演技という言葉は感じられない。

また、画面の角々まで、手前から奥に広がる風景がまるで絵画のように描かれている。まさしく丁寧に描かれた18世紀の風景絵画のように視線をむけるとその細かい描写におどろいてしまう。自然の景色ではなく、計算して作られたセットのようでもあり、しかしセットでは決してまねできない美しさがある。

この2つのシーンは話が進む中で必然的に何度か使われるのだが、その度にこの映画を観つづけることに楽しみを感じてしまった。非常に個人的な感想だが、どうも本当にこの映画が自分の波長に合うようだ。

また特筆すべきはこの子供、少年たちの演技であろう。この場合少年とはビリーとけんかする同級生の男の子まで、つまり学校の生徒達のことを言っていて、ビリーの兄(ジャド)は入らない。ジャドの演技はまったく話にならないので、わざわざ説明するまでもないだろう。意識して演じすぎているから、単に演技になってしまったのだ。

子供が主役の場合、その純粋な演技は特に重要になっていく。どんなにその他の要素が完璧であったとしても名作となるにはこの部分が重要で必要不可欠だ。その反対にこれが十分存在していれば、すこしくらい他の要素に欠陥があったとしても、なんとか名作に仲間入りできそうなものだ。

しかし、この演技という言葉はあくまでも大人の視線、観客の視線にたって言っている言葉で、実際あの少年たちは演技をしているというよりも、ありのまま自分達の生活の一部を見せているだけなのではないだろうか。つまりこのように見せることができる脚色で脚本を仕上げていった監督の才能が、子供というフィルターを通してしみでているということだ。

演技がへたな子供を使った場合、というよりも子供の演技の仕上がりを決めるのは大人達であろうから、そのへたな結果を産み出すような脚本や、監督の意識がその程度であった作品の場合は、どんなに基本的な内容がよくても評価がいま一歩となってしまう。こういう映画は監督の失敗といえるだろう。最近公開の作品では「キャメロットガーデンの少女」がその手の失敗作だった。

立野 浩超

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