マトリックス

聖書や理論数学を下敷きにし、ギリシャ神話や不思議の国のアリスを引用して、実に複雑な世界を創っている。物語が終盤へと進むにつれて、予言者ヨハネ、裏切者ユダ、キリストの奇跡と死そして復活と、まったく聖書をなぞっていく。これは科学が先端的にってきた現代に、時代が精神性を要求し宗教への郷愁を孕んできたことの反映だろう。現実が仮想空間だという設定は、「トゥルーマン・ショー」を思い出させるが、ヒューマンなタッチの「トゥルーマン・ショー」とは異なり、この映画は無機質でばりばりのSFXである。

手や足が切断されても、あたかもその手や足があるかのように痛いと感じるという。それは脳が、かつてあった手や足を覚えており、その部分が痛さを感じるから、すでに失ってしまった手や足にも痛さを感じるらしい。だから、脳内を走る電気的な刺激と脳を含めた肉体を別のものと考えることが可能になる。しかし、仮想社会でも人間が実感をもって生活している以上、それが現実ではないとは言えないだろう。この映画は全面的な整合性があるわけではないが、論理的な矛盾を差し引いても充分に楽しめる。

この映画の凄いところは、CGIやSFXを多用して仮想空間の話にしていながら、その背景には精神的な物語がたっぷりと隠されていることである。ヒロインの名前が三身一体のトリニティ(キャリー=アン・モス)だったりだけではなく、まずネオという設定が新たな社会の救世主である。コンピューターという原罪で汚染された人間を救うのが、またコンピューターオタクの人間である。これはキリスト教がユダヤ教から生まれながら、ユダヤ人とは一線を画していることによく似ているし、単なる過去への回帰とも違うスタンスである。そうでありながら、キリストのように救世主が人間を救うのではない。ネオに救世主の役をやらせながら、現世を救いきれない終末は、むしろユダヤ教的な世界ですらある。

演技の下手なキアヌ・リーブスには、喜怒哀楽を微妙に表現せずに済むこうした映画がはまり役である。また、ヒロインを演じたキャリー=アン・モスが、無機質な映画の雰囲気と合って、とても格好良かった。そして、エージェント・スミスを演じたヒューゴ・ウーィービングの演技が抜群に上手かった。

ラリーとアンディー・ウォシャウスキー兄弟は、「バウンド」を1本撮っただけのほとんど新人である。これほど金のかかった映画を、それほど実績のない若い監督に、ハリウッドは良く撮らせるものである。若い監督でも、上手い売り込みと才能があれば、大金を投資するアメリカの体質がこうした映画を作らせるのだろう。それにしても、アメリカの監督たちはよく勉強している。それは画面の端々から充分に感じる。彼等の愛読書に、ゲーデルが入っているというのも理解できる。

匠 雅音

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