レオス・カラックスの「ポーラX」

知ってた?たった37フラン(約 740 円)で、ストラスブール大通りの映画館パリ・シネ(le Paris Cine)で、2本も映画が見れることを。

今週は「ポーラX」と「Les mercenaires de l’espace(仮題:宇宙の戦士)」が上演されている。この2本の内、私は、フランス語版の1本しか知らないのだけれど。もともと、すぐに見れなくなってしまうかもしれないカラックスの作品しか見る積もりもなかったし。

(私は、この場をかりて、言わずに我慢できない愚痴を言わせてもらう。今ではポスターに載っている映画は、目もくらむような速さで次の作品と入れ替わってしまうのだ!

新作を見に行くことは、まさに蝶々取りと同じになってしまった。それほど、映画の命は、束の間のものとなってしまった。その後では、ビデオで防腐処置が施されるというわけだ)

私たちの蝶々に話しを戻そう、まさにカンヌで、完全に忘れ去られていた不名誉を巻き起こしたこの「ポーラX」に。

この作品は、素晴らしい結婚を約束されていたある若い作家の話しである。彼の作家としての成功は、彼が守ってきた神秘性と関係がある。彼は自分の顔を公の場に出すことを拒んできたのだ。

ところがそこに彼に執拗に付きまとう存在が現れる。彼女は、彼の妹だと名のる東の国から逃れてきた難民だった。彼女のために彼は全てを失ってしまうことになる。

アメリカの作家ハーマン・メルビルの小説を脚色したこの映画は、撮影の簡潔さあるいはカラックスが今までやってきたことの放棄によって注目される。

レオス・カラックスは、「ボーイ・ミーツ・ガール」の気取らない魔法や、「汚れた血」のコマ続きのような夢幻映像、また「ポンヌフの恋人」の大掛かりな豪華さ、これら全てを生み出したものを捨て去ったのだ。

確かに彼は、(太陽に照らされたノルマンディーの豪邸から、リトアニア人のシネアスト、シャルナ・バルタが不法入居した家にいたるまでの)映画の舞台セットや、(ギヨーム・ドパルデュー、褐色の髪のカテリナ・ゴリュブヴァ、ブロンドの髪のデルフィヌ・チュイヨの)感情の高ぶりを感じさせる肉体から、映画が持つ輝きを守った。

(金髪を輝かせ、その後姿を見せていたドヌーブのように)映画崇拝者の見事な映像は、詩情さえ感じさせてくれる。

最後に、現代的と言えるのは、鳴り止むことのない、また会話が途切れることのないコードレス電話である。始めのシークエンスの中では、見知らぬ声のしゃがれた息遣いを聞かせるのは、誰からか分からない電話であった。

しかし撮影するために、カラックスは、低い予算で彼の願望を再検討したのだ。彼はもはや彼自身、誰のため息か分からないものしか吐き出すことも出来なかったのか?あるいは、暗く陰鬱になりかけていた世の中で映画を作ることに苦しんでいるのか?まさにその暗さは、映写室を連想させる。

それでは、そこに戻ろう。パリ・シネの暗い映画館の中では、テレビなどの多重通信の中で起きていることとは逆に、映画は、変わることなく、そしていちゃつく男たちやいびきをかく酔っ払いに台無しにされている。そのうえ、トイレの中での男性バレエにも似た戯れは、映画を見るのとはまた違った楽しを思い描かせる。

受け入れにくいやり方をする映画監督の最新作は、ぼんやりした観客ばかりやって来るこの映画館の中に、奇妙にも逃げ場所を見つけ出している。カラックスはフランス語版の宇宙の戦士(un mercenaire de l’espace)に成り果てたのか?

少なくとも、羽を焼かれたイカロスは、その燃え滓しか残ってはいないとしてもさえない現在の映画製作からすればそれでもやはりまだ熱くほてっているのだ。

しかも、パリ・シネで燃え出したのは、まさに映画のフィルムだった。そのため映写は二度中断され、映画のラストを見ることも出来なかった。結局のところ、6ユーロ払って、私は一つの映画しか見れないのだ。それも、最後まで満足に見れないとは!

注)1ユーロは、6.55957 フラン。

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