大地と自由

監督:ケン・ローチ

★★★

この映画は評価すべき映画のようなきがするが、どうしても総合的に考えた際に抜けている点がみられる。彼のイギリスを舞台とした作品ではありえないようなミスがそこには存在するかのようだ。今回はリバイバルで上映されていたものを観た後の評価だが、前回1年くらい前、ロードショーの時にも同様に退屈な作品と感じたものだ。

オープニングは一人の老人が亡くなり、孫娘が彼のスクラップした新聞や当時の手紙を読み返し、時代をさかのぼり彼が生きた”真の自由を求める闘争の日々”を回想するという設定。ときたま彼女がそれらを読んでいるシーンにもどり、彼女がピザを食べ、ベックビール(瓶ビール)を飲んでいるところを見せる辺りはリアリズムの監督ケン・ローチらしい。観終わった後同じ行動の衝動にかられる。つまり思わずビザを食べにいってしまった。

ちなみに撮影はバリー・エイクロイドで、いままで「リフ・ラフ」から始まり「レディーバード・レディーバード」「カルラの歌」「マイ・ネーム・イズ・ジョー」と同じ色合い、かつその撮影題材にそった微妙な表現力を使い分けている。しかし、残念ながらこの作品では十分その力量が発揮されているようには感じられなかった。「カルラの歌」の場合もそう感じたのだが、エイクロイドはイギリスの風土の中では映画に必要な部分を誇張する事も、切り取るように一面だけを抜き出す事もできるテクニックをもった人だが、一歩国を出るとイギリスでのテクニックをそのままはめ込んで使用しているようだ。つまり、土地の違いが表現されているとは思えないということ。

また、意図的な感情移入を誘わないような客観的な表現で撮影をしているのだが、その傍観者としての目の重要さはケン・ローチの映画の上であるから理解できる。ところが逆に必要なときもあると思うし、そのような時には中途半端に心情を映し出し感情をあらわにするシーンがある。銃撃のさなか、エンディング近くの前線地帯で部隊が投降させられるシーンなどは残念ながら緊迫感のたりない映像になっている。その方法がケン・ローチの一貫した姿勢でもあるが、ケン・ローチも題材によっては苦手なシーンがあるようだ。

孫娘が読み返すという設定、かつラストでは彼女が詩を朗読し、無表情に「土くれ」をかけているその表情は最初から最後の一コマまで一貫して、感情を大きく誇張しないまま終わりを迎える。(注意してもらいたいのは、もちろん泣いたり怒ったりの感情の起伏は映画の中にいくらでもあるが、その撮影がその感情を誇張しない、まるで設置カメラが偶然捕らえたかのようなままで捕らえているということ。)

祖父のおこなったその闘争が現代に生きる彼女にとってどういう意味を持っているのかは一切押し付ける事なく、表面に押し出さずに、観客一人一人が彼女と同じ立場に立たされて同じように自分の意見で感じる権利があるかのようだ。

公平で、上手い手法だが、多少退屈な内容であることが一番の問題か。

ケン・ローチファンには頭に来る表現なのかも知れませんが、私の自由に基づき書いておりますので、ご了承を。

立野 浩超

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