黒猫・白猫

今回は8月21日(土)公開予定の新作のご紹介です。

『黒猫・白猫』1998年 仏・独・ユーゴ合作、ユーゴスラビア映画1998年 ヴェネチア映画祭銀獅子賞最優秀監督賞受賞

監督:エミール・クストリッツァ出演:バイラム・セヴェルジャン、スルジャン・トドロヴィッチ、ブランカ・カティチ、フロリアン・アイディーニ

□ストーリー
ある夏の日のドナウ川のほとり。ザーレの双眼鏡には、賭け事に夢中の父マトゥコとたくさんの家畜たちが写っている。マトゥコは父ザーリェに見限られ、ザーリェの親友グルガに金の無心をするが、金と引き換えたのは石油列車強盗。

もとより、そんな勇気が彼にある筈もなく、新興ヤクザのダダンの協力を仰ぐ。が、計画は失敗し、弁償にダダンのいき遅れの妹、アフロディタとザーレの結婚を迫られる。

だが、ザーレは酒場の娘、イダと愛し合っており、アフロディタは夢の恋人との出会いを信じていて、2人ともこの結婚には不服だ。結婚式から脱走したアフロディタは森で目出たく恋人と出会い、ザーレは“黒猫”と“白猫”を証人にイダとの結婚を敢行してしまう。

□コメント
何とも騒々しくって、可笑しくって、パワフルな映画だ。字幕をつけられた山崎先生をお尋ねした際、丁度仕上げられたばかりの作品がまさにこの『白猫・黒猫』。ロマ語の上に早いテンポ。御苦労のお話を伺っていただけに、納得だった。

さて、前作『アンダー・グラウンド』で、ユーゴスラビアの一大叙事詩を書き上げたクストリッツァ監督、この作品での政治的な毀誉褒貶にうんざりして、一時は“引退宣言”まで伝えられたが(実は誤報だったらしい)今回はコメディ作品でカムバックしてくれた。それもとびきりハイテンションで。

今迄以上にロマのパワフルな生き方に焦点を当てつつも、車を食べるブタに見える国の変化の表現や(この車、トラヴァントといってボディが樹脂製らしい。今では生産中止らしいが、何でも食べて自由にしておくブタ程美味しい食肉になるというイメージから)、首吊りの場面等、彼独特の「お約束」は健在。

何より、いつもながら出演動物は多い。いつでも同じ方向に皆で歩いているアヒルや、同じ輪を回りつづけるリスも意味ありげだが、今回はタイトルロールが必ず重要な場面でも目撃者として存在している。しかも白、黒いつもペアで。

この猫の色がまた寓話的で如何様にも解釈出来る。

一般に黒猫は、不幸等のマイナス的存在。可愛い孫の不本意な結婚を、その「死」でもって、まさに身を持って防ごうとした、爺性愛?のザーリェ。だが、結婚を何としてでも強行したいダダンが氷を乗せて隠蔽工作。

時を同じくしてゴッドファーザーとして君臨していた親友グルガもぽっくり。仲良く氷を乗せられるが、結婚式でのごたごた後に目覚める。この、結婚と死、死と目覚め(蘇生)という相容れないような状況には必ずや猫が見守っているのだ。

昔気質のグルガ一家と新興ヤクザのダダンや、パソコンなどの文明的機器を手にしながらも、呪文を唱えて孫の為に死んでしまうといった、不思議な部分や迷信的要素との共存等も猫の黒、白に表現されるコントラストに通じる。

何しろ携帯電話の一方で、電柱に水を撒くと電話がよく聞こえるとか、揺りかご風ベッドに寝ながら、繰り返し見るビデオが『カサブランカ』だったりするのだ。

この『カサブランカ』はグルガが友情の話として大好きなのだが、監督の好きなヒーローが、この作品でのハンフリー・ボガードだというのも影響しているのかも。

しかし、猫達の一番の大役は、ラストでのザーレとイダの結婚の証人かもしれない。傍観者の立場から、いきなり物語の一旦を担うはめになってしまうのだから。

ここでは、「何と無茶苦茶な!」と言いながらもこの結婚を記録する戸籍官として、クストリッツァ映画の常連、ミキ・マノイロヴィッチが登場する。

(この人、フランス映画にも多く出演しているが、声がいい。そのせいか、最近ではフランス映画祭で上映された短編映画でヴァンサン・ペレーズがメガホンをとった『何も言わずに』で、電話の声だけで出演していた)

ほんの少しの出番ながら、彼を見るとクストリッツァ映画だ、という安心感?が生まれるから不思議だ。

そして、この場面では、冒頭でザーレがドナウ川のこちら側から覗いていた双眼鏡の対象が、今度は乗り込んだ船から今迄自分達のいた岸辺に変化している。次世代を担う彼らの視点として考えてもいいのかもしれない。

それにしても、全編を流れる音楽の楽しさといったら。独特のジプシーの音楽に加え、場面にぴったりのロック等も配しているが、中でもザーリェの退院祝い等で登場するNO SMOKINGというバンドが面白い。

祭りのシーンでは樹木に張り付いて演奏していたりする。このバンドは昔、監督自身が演奏していた事もあるという。何でも有りの雑多な世界は音楽にも表れているわけだ。

出演者はほとんどがロマの素人。存在感のあるゴッドファーザー役も、今は隠居ながら嘗ては駅の靴磨き店の経営者とか。トニー・ガトリフ監督の『ガッジョ・ディーロ』でもアマチュアのロマの人が堂々、主役級を演じていて、それがまた自然で吃驚したものだが彼等は天性の芸術家なのだろうか。

(実際は台詞なんて無視して演技する彼らにクストリッツァ監督も手を焼き、時に爆発したらしい。が、反面それを彼らの魅力として画面に反映させたのは、監督の手腕だ)

数少ない?プロ俳優では、ミステリアスな魅力のイダ役、ブランカ・カティチや、ザーレを演じるきりりとした二枚目のフロリアン・アイディーニといった若手もベテランに混じって頑張っている。

退院後に”人生は素晴らしい”と孫に言うザーリェの言葉に、ロマの生き方と監督のメッセージが凝縮されているのだと思う。

また、ボスニア内戦、コソボ紛争・・と哀しい話題の多いユーゴ情勢。人間が黒猫、白猫と色で分けているだけで彼らは「猫」であるのと同様、猫達から見れば、人種に関係なく「人間」の括りなのに、何故同じ種がこれ程までに傷つけあっているのか。

一見雑多に見えるこの映画の世界の方が本来の姿なのかもしれない。

何はともあれ、元気になれる、この夏のお薦めの1本だ。

<蛇足>ちなみに、クストリッツァ監督作品は全て、どこかしら有名な映画祭で受賞している。『ジプシーのとき』(1989年)等と比較しても面白いだろう。

また、監督自身は、新作『ヴーヴ・ドゥ・サンピエール』(原題)という作品で、俳優として出演している。ちなみに、この作品の監督はパトリス・ルコントで、共演はJ・ビノシュ。コスチュームプレイらしい。(フランスでは?)来年公開予定とか。

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