フィルメックス 新人監督賞・シナリオ賞

新人監督賞グランプリは二ノ宮隆太郎さんの「逃げきれた夢(仮題)」、シナリオ賞グランプリは廣原暁(さとる)さんの 「アンナの黒い犬」が受賞!

受賞者

 日本映画界の次代を担う新しい才能を発掘する「フィルメックス新人監督賞・シナリオ賞」の授賞式が6月28日、東京・六本木のキノフィルムズ試写室で開かれた。新人監督賞グランプリは二ノ宮隆太郎さんの「逃げきれた夢(仮題)」、シナリオ賞グランプリは廣原暁(さとる)さんの 「アンナの黒い犬」が受賞した。

 「フィルメックス新人監督賞・シナリオ賞」は、「木下グループ新人監督賞」を継承して今年スタートした映画賞。撮影や編集のデジタル化で映画製作が身近になる一方で、若い映画作家が次のステップに踏み出すのが難しい現状を受けて、商業映画のフィールドでオリジナル企画の実現を目指す監督や脚本家を支援する。

 新人監督賞は商業映画の実績がない新鋭監督が対象で、シナリオと過去の映像作品をもとに選考。シナリオ賞はプロ・アマチュアを問わず、シナリオのみで選んだ。新人監督賞のグランプリ作品は賞金50万円のほか、木下グループが5000万円を上限に製作費を提供、劇場公開に向けて企画開発や製作・配給を支援する。

  新人監督賞の応募作96作品からグランプリに選ばれた二ノ宮さんは初長編「魅力の人間」で第34回ぴあフィルムフェスティバル準グランプリを受賞し、長編第2作「枝葉のこと」が第70回ロカルノ映画祭新鋭監督コンペティション部門なとに選出された。受賞作の「逃げきれた夢(仮題)」は定時制高校の教頭の男性が認知症を発症していることに気づき、今まで距離を置いてきた家族や友人との関係を見つめなおす物語。授賞式で会見した二ノ宮監督は「この企画は初めてテーマをもらって書いた作品。テーマを下さった方々に感謝するとともに、とにかく特別な映画を作らなければと思っています」と意気込みを語った。

 シナリオ賞の131作品からグランプリを受賞した廣原さんは「世界グッドモーニング!!」でバンクーバー国際映画祭グランプリを受賞。2017年には共同脚本を手掛けた監督作「ポンチョに夜明けの風はらませて」が全国公開された。受賞作の「アンナの黒い犬」は。海辺の町で起きた自動車事故を起点にした物語。廣原さんは「実在のひき逃げ事件を題材に7〜8年前から書き始めたのですが、なかなかで納得のいくものにできず、いい加減あきらめようかと生殺しのような状態で抱えていました。今回この賞を知り、映画作りの仲間と月1回くらい集まりながら意見を聴いて完成させました。この受賞で、自信というか『映画化してもいいんだ』という声をいただいたような気がしています」と喜びを語った。


 新人監督賞の準グランプリは金允洙さんの「怪鳥とトランペット」、飯塚花笑さんの「トイレ、どっちに入る?」、酒井善三さんの「狩人の夜明け」が受賞。シナリオ賞の準グランプリには内田伸輝さんの「特別」、松本稔さんと足立紳さんが共同執筆した「弱虫日記」、宮瀬佐知子さんの「オロンガポ」が選ばれた。

シナリオ賞 グランプリ 廣原暁「アンナの黒い犬」

「この企画は7〜8年くらい前にあるひき逃げ事件を題材にして書き始めたのですが、なかなか自分で納得のいくものにできず、何度も何度も触りながらいい加減諦めようかと思い、生殺しのような状態で抱えていたのですが、今回この賞があることを知って、応募しようと思い、映画作りの仲間と月1回くらい集まりながら意見を聴いて完成させました。賞をいただいて自信というか『映画化してもいいんだ』という声をいただいたような気がしています。本当にありがとうございました」

シナリオ賞 準グランプリ 内田伸輝さん「特別」

「光栄に思います。この作品は去年こつこつと書き溜めて、ワークショップをやりながら書いていった作品です。現在第2稿の段階で応募しましたので、まだまだ改稿を重ねていって絶対映画化したいと思いますので、皆様ぜひご注目下さい」

松本稔さん「弱虫日記」(共同脚本の足立紳さんは欠席)

「今日は共同執筆の足立紳監督が来られないため私一人で出席させていただきました。元々原作小説があり、講談社文庫から出版されています。とても面白い小説で、これを足立紳監督が映画化したらすごく面白い映画になると思っていたところ、一緒にシナリオを書いてくれないかとお誘いいただいた。書き始めるとすごくエキサイティングな体験で、すごくシナリオに仕上がった。『14の夜』の足立監督の腕ならいい作品にできると思う。この賞をきっかけに映画化に向かえればうれしい。皆様にも原作やシナリオを読んでいただき読ませていただき、ご協力や励ましの声をいただけると嬉しいです」

宮瀬佐知子さん「オロンガポ」

「この作品はフィリピンと函館を舞台に国際共同制作を目指しています。私は10年以上前にフィリピンでドキュメンタリー映画を撮っていて、その頃からずっと書き続けていました。プロデューサーの方たちにも見ていただいたのですが、『難しいのではないか』と言われ続けていて、去年これで最後かなと思って書き直したものです。今はいろいろな監督に付かせていただき現場を走り回っているのですが、この作品できちんと企画を成立させることを頑張りたいと思っています。賞をいただいても企画が成立するのは難しいということは日々感じておりますのできちんとひとつずつやるべきことをやって成立させたいと思っています。今日は本当にありがとうございます。」

新人監督賞 グランプリ 二ノ宮隆太郎さん「逃げきれた夢(仮題)」

「本当にありがとうございます。この企画は初めてあるテーマをもらって書いた作品です。テーマを下さった國實(瑞恵)さん、石原(仁美)プロデューサー、本当にありがとうございます。とにかく特別な映画を作らなければと思っています。本当にありがとうございました」

準グランプリ

金允洙さん「怪鳥とトランペット」

「この脚本はある役者さんを想定してあて書きしました。その役者さんは脚本が書きあがったその日に舞台上で本番中に亡くなるという離れ業をやってのけました。もともとこの企画を考えたときに、いろいろな人が死んで、人の死に引きずられてはいけないなと思いながら書き始めたのですが、書き終わりも人の死で終わるという何ともいわくつきの脚本になりました。その役者さんは中嶋しゅうという方です。この脚本を映画化しないことにしゅうさんに顔向けできないので、何とか前に進めればと思います。ありがとうございます」

飯塚花笑さん「トイレ、どっちに入る?」 (欠席)

酒井善三さん「狩人の夜明け」

「自分と仲間で映画を製作して、これなら面白い作品になると思えるシナリオができたのですが、プロデューサーに持っていっても無名の人間では難しいことは肌身にしみてわかっていました。評価していただきありがたく思っていますが、もちろんまだスタートラインに立ったわけではなく、製作にどうしてもこぎつけなくてはいけない。それにはまず自分たちが絶対に面白いと思えるものを作れる体制を作らなければならないと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いします」

朝生 賀子

新コーナー「Iris’ detections」

ScreenKiss って言うミーハーな名前の割には、結構マイナーな作品やくどい記事をターゲットにしている我々ですが、映画を紹介する以外にも新進映画監督や作品を世に広めようと言う目的もあるのです。

とは言っても、有名な作品や監督を紹介するのよりも大変だと言うことはご存じだろうか?たとえば、有名であれば事務所や連絡先がはっきりしているし、もしマクドナルドで会ったとしても、勇気があれば声をかける事が出来る。

しかし無名の人間というのに知り合うのは、結構難しい。もしかしたら電車の隣に座っている人間は映画監督をしているかも知れないが、どんな作品を作っているかとか分からない。調べることも大変だ。過去の作品がビデオで簡単に見れることはないだろうし、経歴なども調べることは難しいだろう。

実際横浜フランス映画祭では、ごく有名な人物を除き、誰が監督なのか?どんな作品出来ているのか?分からない。サインをもらっても、これが誰のサインか後で迷うことになる。「あなたは、誰だか知らないのですが、取りあえずインタビューさせてもらえますか?」と言うのでは、いくら何でも失礼だろう。少なくても日本に来ているわけだから、本国ではそこそこの知名度があるに違いない。

こんな訳で、まだ無名の作家を取り上げるのは、なかなか困難なのである。そうとは言えども、Iris’ detectionsでは、まだ日の目を見ない、もしかしたら有名になるかも知れない、映画人・作品を紹介していく予定だ。何しろ、インタビュー対象の作品や経歴など全く知らないで、話してくることがほとんどであろうし、だからといって辛辣さが無くなることは無いだろう。「ぴあ」などの記事などを読んでいるときのように作家や作品を判断しないで頂きたい。

さて、第一回は新進映画監督の「朝生 賀子」を紹介しよう。

大阪出身で大阪写真専門学校(現在はビジュアルアーツ専門学校・大阪)を卒業している。在学中に制作したものも含め7作目に当たる作品「キミタチニアイタイ」を9月に上映を行う予定だ。

この作品は、本人にとって初めて劇場で観客に見せる事を目的として制作したもので、今までの作品は学校の課題であったり先生などへ評価してもらうためのものであった事らしい。

監督以外にも、助手や製作サイドの色々な仕事をしているようで、たとえば「ガメラ2」の制作進行・企画VTRの助監督なども行っている。

彼女自身は色々な協力を自然受けることが出来、比較的スムーズに事が進んでいると言う印象を受けた。特に積極的に色々なところへのアピールをすることは少なく、多くの方々から依頼をされたり上映なども好意的に受け入れられた様だ。それだけに才能があるのかも知れない。

現在は静岡県浜松市にすんでいるのだが、これも非常に興味深い話だった。

僕自身映画監督にあこがれていた時期があり、在米中に何人かの映画監督に出会った事があった。その時にやっぱり問題になることは、制作の費用である。

もし一本の作品を作るとすれば、最低2000万は必要だと言われたことがあるが、これだけのお金を個人で用意することは難しい。特に駆け出しの作家にとっては、殆ど個人で用意する以外にないと思われる。

しかし彼女はスタッフを全てボランティアで揃え、制作費は殆どフィルム代程度ですみ、普通かかる費用の10分の1程度ですんだ様だ。

当然26才の人間がいくら低額で作成できたとしても、経済的には苦しくなることはある。その時に手を差し伸べてくれたのは、浜松にあるシネマ・バリエテと言う存在だ。

このシネマ・バリエテとは「ムーブメント」と言われる存在なのだが、20年も続いているのは、この浜松のシネマ・バリエテぐらいだそうだ。

今回の作品は東京で撮影されたのだが、その終了後大阪で編集を終え、現在浜松に住んでいるのは、このシネマ・バリエテとの関係からだ。

日本では映画業界は斜陽と言っても悪くないのだが、政府が映画業界に強力にサポートしているフランスでは、有名な俳優がまだ名もない監督の作品に出演してくれることもある。果たして日本ではどうなのだろうか?

彼女によれば、日本でもその様なことはあるというのだ。実際彼女の作品でもガメラシリーズ全作品に出演している蛍雪次郎などもノーギャラで出演してもらっていると言う。日本でもしっかり話せば理解してくれる人間は多くいるのだと言うことを感じた。

彼女は自分で「映画作家」と言うのだが、それはイメージや実験的な映像を扱う映像作家とは違うという事を話していた。ストーリーがあり登場人物がある作品を作っていきたいというのだ。

今までの作品もタイトルや紹介文を見る限りでは青春とか恋愛映画である。雰囲気的に彼女はZARDが好きだと見たがどうであろう。

最後に9月2日、3日に浜松東宝劇場で公開する「キミタチニアイタイ」を少々紹介しよう。まだこの作品は見ていないので、パンフレットに書いてあるストーリーのみを簡単に……

ケーキ屋さんでアルバイトを始めたトミオは、二人の女の子に引かれながらも出会う事さえ出来ないでいる。全てが曖昧な「イマドキ」の、希薄な関係や痛み、ゆがみをみつめる-たぶん「青春エイガ」。

なお、この作品は浜松を皮切りに全国で公開していく予定だそうだ。

ScreenKissでは、まだ駆け出しの映画人を積極的に応援していきたいと思っています。もし我こそはと思われる方、是非編集部までご一報を!

山崎剛太郎(字幕翻訳)第4回

4)その他のご活動等

以上は主に映画を通しての先生のお仕事についてだったが、先生には別の顔もお持ちである。

それは小説家としてのお顔なのだが、以前出されたご本のタイトルは「薔薇物語」。

綺麗な布貼りの表紙にすっきりしたサックの美しい本だ。雪華社から昭和60年に刊行されたもので、発行日が何と7月14日とフランスがお好きな先生に相応しいところも興味深い。

帯に『虐殺された作家の・・・』と書いてあったので、良く読まないで誰かモデルがいたのか、とお尋ねしたところ、この「作家」とは御自分の事だそうだ。

その頃マルセル・プルーストに傾頭していて、その影響が色濃い作品らしい。この本の推薦の言葉を書いている面々がこれまた凄い。高野悦子さんのように、すぐお顔まで思い出せる方もいれば、昔国語の教科書で教わったような、中村真一郎氏や加藤周一氏、矢内原伊作氏の名前まで見える。

矢内原氏とは一時住んでいた鎌倉での知人、中村氏に至っては亡くなる迄親友で、とうとう納骨のために霊園にまでつきあわれたという。親友の死にはとても寂しそうなお顔だった。

それにしてもこの推薦文に出てくる、山崎先生の描写はなかなかで、どれも決まって『ダンディな』という形容詞がついている。現在でもそれは十分伺えるが、察するところ、かなり素敵な方だったに違いない。今も次のご著書に向けて準備中との事だ。

5)インタビューを終わって

日本で初めて字幕が登場したのは 1932 年の「モロッコ」で、フランス映画に限定すると 1936 年の「にんじん」だそうだ。その後60数年のうち40年以上も字幕と付合っていらした山崎先生。

小さい頃初めて見た映画はチャンバラだったものの、その後はフランス映画に夢中になった少年はとうとうこの世界でこんなに長い年月を仕事する事になったわけだ。

これだけの仕事をされてきた先生がしみじみ仰った「映画って本当に勉強になりますよね」という言葉にはとても深い重みが感じられた。時々映画の台詞を思い出してみたりするのも楽しいそうだ。これがまたすらすらと原文で出てくるのにも圧倒されてしまった。

そしてなお、映画への興味は尽きず、フランスにいらっしゃる今年16歳になるお孫さんが「タイタニック」で1時間以上も感激の涙を流したと聞けば、奥様を伴って銀座まで見に行かれる。(結果は「全然良くなかった」そうです。ちなみに昨年の映画祭でオープニングを飾った「アルマゲドン」に至っては「最初の10分でつまらなくなった」とか。)

また、話を伺っている私にも「ねぇ、今、渋谷でやってる『鳩の翼』っていい?家内と1度行ってみようかな」と仰る。この辺りがお若い秘訣なのだと思った。

先生の以前書かれていた文章の中に『映像による国際語とも言われる映画の字幕翻訳者の役割は独自の文化交流の担い手として決して小さくはないと自負するものである。』というのがある。

そこで、昨年の東京国際映画祭で上映された「レッドヴァイオリン」でのフランソワ・ジラール監督の言葉を思い出した。ヴァイオリンが巡る5カ国では、全てその国の言語を使用している。その理由は、やはり音楽とともに言語はその国の文化を紹介する上で一番の近道だというのだ。

さて、初対面で御自宅までお伺いして色々なお話を聞かせて頂く事何と4時間。映画への深い情熱、それでいて謙遜で物静かな語り口。そのお人柄にすっかり魅了されてしまった。

合間には御自分でコーヒーをいれて下さったり、地理音痴の私の為に大きなフランスの地図を前に説明してくださったり。帰りには陽が傾いて気温が下がってきた中をマフラーをふわっと羽織られ、駅まで送って下さった。翌週にはすぐ、色々な資料もお送りくださって、お疲れだったであろうに、神経のこまやかな素敵な方だった。

私だけが独占してお話を伺うのがもったいない位、色々な事が次々と飛び出てくる。

また、いつかお話を伺わせて頂きたいものだと思いながら帰路についた。

追記:この原稿が出来上がるまでには先生に、2度も確認の為チェックをして頂きました。

その度に丁寧なお手紙も添えて下さり、本当にお世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。有り難うございました。

鳥野 韻子

山崎剛太郎(字幕翻訳)第3回

※さて、ここで、先生が手掛けられた主な作品を挙げて見ると

「スワンの恋」「大いなる幻影」「さよなら子供たち」「満月の夜」「海辺のポーリーヌ」「抵抗」「バルタザールどこへ行く」「悪霊」等ジャンルも時代も様々。

逆に今村昌平監督の「楢山節考」「黒い雨」、小栗康平監督の「死の棘」等、日本の映画を海外用に翻訳されてもいる。海外の映画祭では必ずその国の原語で参加する事が原則なのでだそうだ。

また、ビデオ収録作品には「溝の中の月」「ダントン」「青い麦」等。テレビのそばのラックを拝見しただけでも、その他「モンド」「カンフー・マスター」といった作品が並んでいた。

レンタルビデオ店に行ったら、ビデオのカバーを注意して見て欲しい。「字幕」というところに先生のお名前をいくつも発見出来るはずだ。

3)映画周辺:お好きな映画、監督、俳優等について

※こんなに多くの映画を翻訳されているわけだが、先生ご自身がお好きな映画をお聞きしてみた。

まず、「ゲームの規則」。これは当時東京新聞で『字幕がきびきびしていて良かった』と批評が載ったそうだ。それから、「スワンの恋」「田舎の日曜日」「プロビデンス」「モリエール」「ピロスマニ」。やはりヨーロッパ映画が中心とはいえ、今でも1年に約50本は映画を御覧になられる先生、その中には邦画も含まれている。

ちなみに昨年の東京国際映画祭では「おもちゃ」と「あ、春」などを御覧になられている。小栗康平監督作品の「泥の河」などは庶民の描き方などに、フランス映画に見られるようなセンチメントがあるし、また、大島渚監督の「愛のコリーダ」に見られる番傘の見せ方などには日本独特の映像美があり、そういった点では非常に感心されたそうだ。

映像美といえば、中でもマルセル・カミュ監督の「黒いオルフェ」はモノクロの本当に美しい作品で、繰り返し御覧になられたほどお好きだそうだ。白黒の画面がカラーにはない深みを生み出している。リオのカーニバルにオルフェ伝説を重ねた1959年の作品で、監督は寡作な人であったが映像とともにその音楽の美しさはまた秀逸で忘れられない作品だそうだ。

※そのリオにもお仕事でいかれた事があると仰る先生は、実は始めから字幕翻訳のプロとしてスタートされた訳ではない。ここで少し先生のプロフィールを御紹介しよう。

大学をご卒業後、10年間外務省に勤務され、その間アメリカ、仏領インドシナはじめ、中南米にもいらした。どうも役所に向かない様な気がして?退職後東和映画社の制作部に籍を置く傍ら、母校、早稲田からの依頼でフランス語の講師、日仏学院でビデオによるフランス映画史、慶應大学で映画の講議、と先生のお言葉に拠れば「1月に1度位しか家で食事出来ない程、良く働いたものだ」そうだ。

こうした間には様々な監督や俳優等とも御会いになられている。実は今回のインタビューも、1953 年に開催された第1回フランス映画祭で来日したアンドレ・カイヤット監督、ジェラール・フィリップ、シモーヌ・シモンの通訳をなさっている先生のお写真を拝見しながらはじまったのである。ジェラール・フィリップといえば、36歳で惜しくも世を去った、毋たちの代では二枚目の代名詞だ。

このところ彼の特集上映があり、生前の彼を知らない私達でも、その演技の素晴らしさが堪能出来るようになった。

※そこで、まず、このジェラール・フィリップを手始めに彼に関する先生のお話と、また御自身がお好きな俳優、監督等について話していただいた。

「昨年11月に彼の娘で女優のアンヌ・マリーさんが来日した際、彼女を囲んでジェラール・フィリップ映画祭の主催者で、その映画祭を開きたいばかりに会社(セテラ)を設立したという山中社長とジェラールのファンクラブの人たちと茶話会に出席しました。

この時アンヌさんは挨拶の中で『映画は影だ』と言ったので、そのまま訳して『しまった!』と思いました。彼女のこの言葉は『あくまでパパは舞台人。肉体を駆使した生の舞台が彼の本領発揮の場なのです。』という意味だった。彼は映画人である前に舞台人だったから、国民劇場を創設したし、今でも彼の名前の付いた劇場がフランスのあちこちにあるわけです。

今は彼を知る人も少なくなってきてとても残念だけど、彼はハンサムなだけでなく演技は本当に巧い。真の意味でのコメディアンです。声も良かった。彼の朗読した『星の王子様』は美しい声で、レコードは今でも持っていますよ。朗読といえば来日した時も舞台でラシーヌの詩を朗読したんです。

彼自身は、対で話してみるととてもきりっとした人柄で、変におもねったところがなく素敵でした。この来日時、黒澤監督の『虎の尾を踏む男達』が見たいというので、試写室に同行しました。

日本側から、フランス語が付いていないので所々説明して欲しいといわれたのですが、ものの5分も訳したところで、彼は『大変申し訳ないですが、訳はもう結構です』と言い、自分なりに鑑賞したいようでしたね。

彼の作品でジャック・ベッケルの『モンパルナスの灯』はとても好きです。これは当初マックス・オフュルスが監督する予定がキャンセルになり、急きょベッケルになったものです。

この作品で感動したのは、主人公のモジリアニが施療院で死ぬと、リノ・バンチュラ演ずる画商モレノが早速モジリアニの家に行って絵を全て買い付ける。この時、画家の妻にお金を支払おうとすると、彼女が『お金が必要なのではありません。彼には勇気づけが必要なのです』といって受け取らない。

この台詞が良くて。フランスに行った時モジリアニの住所を探したこともあるけれど、わからなかった。」

先生は以前、講談社から「映画よ、夢の貴公子よ、フィリップの回想記」という本を刊行されていて、今回の娘さんの来日でお手元の2冊のうち1冊をあげてしまわれたのだそうだ。

父が亡くなったときはほんの子供で、彼の枕元で遊んでいたというアンヌ・マリーさんも、自分より、ある意味では社会人としての父を知っている山崎先生のお話は嬉しかったに違いない。

彼の朗読で、声について触れていらっしゃるが、やはりこれだけ翻訳をされていると、例えばフィリップ・ノワレなど声で俳優が分かったりするのだそうだ。喋るアクセント等で文体が決まることも多いので、これはとても大切な要因という。

ジェラール・フィリップを継ぐ俳優は今フランスにいると思いますか?と伺ってみたら「タイプは全然違うけれど、ジェラール・ドパルジューなどはいい線いっているのでは」との事だった。

※しかし、先生にはジェラール・フィリップとは別に大好きな俳優がいる。

「実はルイ・ジューベが大好きでね。この人は真の意味で舞台人だと思います。あの独特のマスク(御存知の方も多いとは思いますが、目のぐりぐりしたとても個性的な俳優です)も好きだな。

『女だけの都』や『どん底』の男爵役、印象的な役柄で数多く出演している。

『舞踏会の手帖』では怪しげなナイトクラブのボスを演じた。昔、舞踏会で踊った相手を探しているクリスチーヌが彼を尋ねて来ると、彼女にヴェルレーヌの詩『感傷的なお喋り』を朗読する。『孤独な凍てつきし庭。ふたつ影通り過ぎぬ。そなたの唇は凍えて・・・』というと、クリスチーヌがあとを続ける。

そこへ警官が踏み込んできて彼を逮捕する。と、彼は『引かれて行くのはジョーだよ。クリクリ、ピエールは君に置いていくよ』と言うんだね。彼は本名がピエールなんだけど、ナイトクラブのボスになってからの名前がジョーなのね。素晴らしい演技だった。」

※今度は、今迄御会いになられた監督の中で印象的な方を伺ってみた。

「パーティで会ったりした事が多いから、そんなに突っ込んだ話は出来ないですよね。古くは、ルネ・クレマンにもルネ・クレールにも会いましたけど。最近はアニエス・バルダ。

でも彼女はちょっと怖いね。日仏学院での『百一夜』の上映後、彼女が入って来たので、皆が拍手したら、『貴方方は映画が終わって拍手しないで、私が入って来たら拍手した』って怒ってる。

自分の映画に対する拍手は嬉しいけど、これでは映画があまり評価されなかったと思ったらしい。その後のパーティにも誘われたけど逃げちゃった。あの人の作品で『歌う女、歌わない女』というのがあって、字幕もつけたけど、KK ベストセラーズに依頼されて夜も寝ないでノベライゼーションしました。原稿 300 枚位だったかな。自分で翻訳した映画を思い出しながら書きましたよ」

先生は翻訳書も手掛けられ、この他にも「ゴダール・シナリオ全集」「昼顔」「映画のセットの歴史と技術」といった訳書がある。ちなみにゴダールの「勝手にしやがれ」のテレビ版は先生が字幕をつけられたそうだ。

※映画を通じて知り合った方の中には、あの淀川長治先生もいらした。ただし、このお二人の出会いはそう楽しいものではなかったらしい。

東和映画にいらした時、チャップリンの版権をここが全て買った。そこで、その予告編を作製するにあたり、川喜多社長の提案で淀川先生にやって頂いたらどうかという事になった。

それを受けた、制作部の山崎先生は当時プロデューサーシステム(ひとつの映画を輸入から日本版制作まで全てひとりに任せる)を採用しており、部下のひとりにこの件を依頼された。ところが、その部下が相手の意向もお伺いしないような失礼な電話を、一方的に淀川先生にしたため、「失礼ではないか」という電話が社長に入った。

そこで先生が謝まられたのがきっかけという。以降は試写室で会うと挨拶したりの仲になって、それは淀川先生が亡くなるまで続いたそうだ。

鳥野 韻子

山崎剛太郎(字幕翻訳)第2回

2)字幕周辺:用語などについて

映画館とビデオやテレビでは何となく訳が異なるような気がするのだが、という質問には意外なお答えが。

「それはその通りです。字幕にはいくつかの禁止用語があるのですが、これがビデオ、テレビとなると劇場用より更に規制が厳しくなります。例えば“狂言自殺”という言葉。

これには“狂う”という字が入っているのでだめ。同和問題なども各局で禁止用語をもっています。原題に禁止用語が含まれている場合も変えてしまう事もあり、こうした事は翻訳家協会でもいつも問題になる点です。

例えば以前アキムコレクションをまとめて上映した事があり、その時私は『ノートルダムのせむし男』を手掛けました。一応タイトルには残したものの、“せむし”が禁止という事で字幕には“鐘つき男”、せむしに触れる時は“こぶ”という形で逃げました。

原作の雰囲気を変えてしまう事もあり、私はこれは一種の“言葉狩り”にならないかと思います。」

※他にも言葉に関しては、いろいろと感じられるところがおありだそうだ。

「若い人の言葉もなるべく気にしているのですが、どうも自分の生活に密着していないので使いにくいです。でも、配給会社はとにかく売れればいいわけだから、そうした言葉を使ってくれと言ってくる場合もあります。

昔の話ですが、主演女優さんが百恵ちゃんに似てるからって『山崎さん、あそこはね、百恵ちゃんて入れて下さい』って。恥ずかしいし、不快だったけど宣伝部から言われたしね。

字幕では、僕の先輩の秘田余四郎さんて方がね、とても巧くて、この方の字幕は石に刻んでもいいと思う位ですよ。私が60才位の時、『天井桟敷の人々』をテレビ用に頼まれたのですが、既に彼の素晴らしい訳があるのでそれを使えば、と言ったのですが版権は7年間なので、それが切れていたらしい。そこで、挑戦しましたが、やはり彼の訳はそれを乗り越えられない程巧かったねぇ。」

ここで名前の上がった秘田余四郎氏とは50年代位までのフランス映画をほとんど手掛けていた翻訳家で、山崎先生ご自身、若い頃から彼の翻訳した映画を見て、映画に夢中になられたそうだ。

ご自身多くの映画を訳される事になった訳だが、これには傑作な話がある。フィルムセンターでフランス映画特集上映をしていた際、先生が19才で見て感動したデュヴィヴィエ監督作品の『ゴルゴダの丘』の上映があった。

この作品でキリストの役をしたロベール・ルヴィギャンという役者がとても良かったのだが、彼がユダヤ人という事がわかり、出演の決まっていた『天井桟敷の人々』の冒頭に出てくる古着屋の役をおろされてしまったという。(結局この役は急きょルノワール監督の弟が代役する事になった)

それはともかく、その作品を、友人の若い早稲田の学生と一緒に見に行かれた。見ながら訳についても色々話していたところ、最後に字幕のところで、御自分の名前が出てきて吃驚されたのだそうだ。すっかり忘れていた作品で、どうやらこれも19才の時は秘田氏の訳で御覧になっていたらしいが、その後フィルムライブラリーに納める為に新たに字幕を頼まれたような気がする。

その他に上映していた作品にも御自分の字幕のものがあって、何人かに「山崎さんのを5~6本見ました」といわれ頭をかかえられたらしい。確かに今迄で 700本も訳されていればこんな事も起こるのだろう。

やはり、山崎先生の字幕に慣れている人から見れば先生の字幕だという事はすぐにわかるそうで、テレビで放映されたりすると「先生の翻訳ですね」という電話がかかってきたりするそうだ。

やはりお仕事柄、他の字幕翻訳も当然気になられる。昨年の東京国際映画祭で上映したアラン・タネール監督作品「レクイエム」はとても気に入って二回も御覧になられたが、ただひとつ気になって仕方がなかったのが冒頭の、ある文章だったという。

この作品はある男が死んだ詩人と会う約束迄の時間に、若い時の父親や亡くなった友人、恋人と再会するといった白昼夢のようなストーリーなのだが、こうした内容と照らしあわせると冒頭の『人生は寝て過ごせ』という訳がとても気になった。

ボードレールの詩に「獣の眠りを眠れ」というのがあり、多分それを人生に置き換えたのだと思えるが、英語で言えば”Sleep the Life”

だから、とてもびっくりしてしまわれたという。

鳥野 韻子

バックステージ探訪

映画ビジネスに関わる方々にお話を伺うコーナーです。アポイントが取れ次第の取材なので、不定期になりますが、随時ご紹介していきたいと思います。

第1回目は字幕翻訳のベテラン山崎剛太郎先生です。(ちなみにお名前はヤマサキ コウタロウとお読みします)

外国映画を見る時、殆どの人がお世話になるもの、といえば「字幕」。今回は主にヨーロッパ映画の字幕翻訳に携わって 40 年という、大ベテランの山崎剛太郎先生にお話を伺ってきました。

先生はご年輩ながら、かくしゃくとして、しかもダンディ。フランス語を自在に操られる一方、とても美しい日本語で話される素敵な方でした。その先生に、字幕翻訳でのご苦労は勿論、お仕事を通しての映画へのまなざし等、様々な事を語って頂きました。

1)字幕を付ける際の作業等

まず、画面と台詞のリストを見ながらポーズを目安に区切りマークを付ける。(これを「箱書き」といいます)リストにはひとつひとつのダイアローグに番号が振られており、予め計算された字数とフィルムの長さに応じて翻訳を付していく。と、いうと簡単な作業のようだが、ここからが翻訳家氏の本領発揮なのだ。ちなみに1秒間に約4文字というのが字幕の基本らしい。

実際リストを見せて頂きながら(このリストがまた細かい。台詞番号、字数、フィルムの長さ、コマ数の順でずら~っと並んでいて、一見しただけでは何だかよくわからない)説明を受けたものの結構難しい。ここで、作業にまつわる御苦労を尋ねてみた。

台詞が短く終わっていても、シーンが続いている場合は単純に台詞をのばせばいいが、逆にシーンが短いのに台詞が多い場合は次のシーンにかぶさらないよう調節しなくてはならない。そういった時間との兼ね合いがひとつ。

そして、次に当然言葉の問題。例えばそのときの時局や、評判のものなどが分からないと、前後関係や内容が理解出来ない。今手掛けている台本にも知らない固有名詞が出てきた。

これはたまたま、まだ日本に輸入発売されていないシャンソンに出てくる名前という事が判明したが、本当はそんな意味でもフランス等へは毎年行っていた方がよい。いくらフランス人でも日本在住が長いとやはりわからない事も出てくるし。スラング等も変わっていくから。

実は先生のお嬢さんはフランスの方と結婚されて、リヨンで生活されている。そこで、先生は年に1度は必ずフランスを訪れるわけである。

長い台詞を1秒4文字の法則で埋めていくと、当然全てが翻訳出来ない。そこで、作品の内容もふまえて、無理のない日本語で表現していくのが一番の苦労するところといえる。

良く出来た字幕とは“映画の人物が生きている”ものだそうだ。

昔は試写室にこもって作業をしたので、見損ねたところを再度まわして貰うのも、映写技士に悪いし、と緊張して見たものだが、最近はビデオを見ながら家で仕事が出来るので便利になったそうだ。ただ、1度は大きい画面で見ないと画像の暗い部分がよくわからないので、まず試写室で見て、それからビデオで確認する手順をふむ。

1つの作品にかかる作業時間をお尋ねした処、「若いときは大体 500~600 の台詞を1日でこなしていたから、朝5時から夜の 11 時までぶっ通しで作業したものです。でも最近は 150~200 位。1日1巻(2000 フィート)出来ればいい方でしょうか。2時間ほどの作品で大体 15 巻位です。ただ、仕事中は他の映画は見ないようにしています。どうも別のものを間に見てしまうと雰囲気が変わってしまう心配があるのでね」との事だった。

※先生はまた、例えばポルトガルのマヌエル・デ・オリヴェイラ監督作品「世界の始まりへの旅」やエジプトのシャヒーン監督作品「炎のアンダルシア」等フランス語以外の外国語の作品の字幕翻訳も手がけられている。このような場合は原文からどのような段階を経て訳をつけられるのだろうか。

「例えば『炎のアンダルシア』は原語はアラビア語。まず、字もわからないのでアラビア語の分かる外語大の先生にもついてもらいました。特にこの映画はイスラム教の問題があって、そうした専門用語が多く、フランス語だけではなかなか自分自身納得出来ないのでこのような段階を踏みました。

最近手掛けた、旧ユーゴスラビアのエミール・クストリッツァ作品『黒猫、白猫』は登場人物がジプシーなので、原語はロマ語。これはフランス語の字幕付きで、台本は字幕と同じものがかいてあり、そこを日本語にしていくわけです。誰の台詞か分かるように自分で喋り手を記入したり、目安として(女性に向かって話している)とか(ダイスを振っている)とかシーンの特徴を入れたり工夫をします。

ユーゴの作品なのでコソボ問題等が出てくるかと心配だったのですが、これは全くのコメディでした。全部で16巻、2時間 20 分の作品です。」

では、原語の問題は別にして翻訳されやすい作品としにくい作品はあるのだろうか。

「オリヴェイラの『世界の始まりへの旅』は良かったね。あの映画は字幕をやりながら気に入った作品でした。楽しくて自分でも“のってる”っていう感じがしましたね。

配給のフランス映画社の人も喜んでくれましたよ。何と言うか枯れた良さがあります。彼の他の作品は手掛けなかったけれどとても好き。『階段通りの人々』も良かったね。演出の仕方が普通の監督と違ってとても文学的です。ただジャンルで言うとコメディは結構難しいです」

余談だが、私が初めて山崎先生をお見かけしたのは、東京国際映画祭での『世界の始まりへの旅』の時。この映画は気に入って一般公開になってまた見た位だが、独特の映像美とどこかお茶目な性格の監督の作品は「アブラハム渓谷」以来大好き。この作品を未見の方、是非お薦めです。

鳥野 韻子

ローラン・ティエール監督

ついにフランス映画祭がスタートしました。今年は六本木、お台場、大阪なんばと国内の各地で開催されており、フランス映画がより多くの人の眼に届くようになりました。フレンチなエッセンスを取り入れる絶好の4日間ですね。アンテンヌフランスでも例年と同様、ゲスト俳優へのインタビューを速報でお送り致します。監督やゲストの人となり、撮影裏話を聞いて、鑑賞作品のチョイスにお役立て下さい。

「モリエール」
ローラン・ティエール監督
インタビュー ダイジェスト

今年度のフランス映画祭のサプライズ上映作品「モリエール」の監督にインタビューをしてきました!

ローラン・ティエール監督、ニューヨーク大学で映画を学び、その後ジャーナリストとして活躍。長編監督は2作品目となります。

インタビュールームに入ると、とても気さくな雰囲気で全スタッフと握手をすると着席。終始にこやかにお話をしていただきました。「カメラ目線で話したらいいのかな?」と撮影チームへの気配りを忘れないのも、自身がジャーナリストとして撮影する側の経験があるからでしょう。

子どもの頃からアメリカ映画に興味を持ち、スピルバーグやフランシス・コッポラ、ウッディ・アレンが好きというその嗜好を聞いて、フランス・コメディ映画に新風をふかす期待の新星であるという評判になるほど納得でした。

勿論、今回の上映作品「モリエール」のお話も聞いてきました。

↓監督からの『モリエールの醍醐味!』はこちら
「アーティストがモノを生み出すというクリエーションがテーマの作品です。モリエールは表現する声を探した人です。悲劇が物事を伝えるのに有効と考えていましたが、悲劇を追求すると喜劇になるという逆説に到達しています。面白いけれども悲劇であるということです。ここがこの作品の見所です」

他にも監督の人となりが伝わってくる素敵なインタビュータイムでした。インタビューレポートをご期待下さい。

●「モリエール」ストーリー
1644年、弱冠22歳のモリエールは「盛名劇団」を旗揚げするも破産し、債権者に追われてパリから姿を消す。そして、その後の数ヶ月間はいまも歴史の闇に消えたままである。この謎の期間、モリエールの身に起きたことは何か?西洋時代劇の喜劇を必見!

淀川 長治 先生を悼んで

去る 11 月 11 日に映画評論家の淀川長治氏が 89 才で亡くなられた。丁度東京国際映画祭が終わったばかりで、何だか急に淋しくなってしまった感がある。実は私は中学生時代からの隠れファンであり、長年のファンを差し置いてここで彼への想い何ぞ語ったら叱られるであろうが、あえて書かせて頂く。

中学生の頃は当時よく読んでいた映画関係の雑誌にお話を連載されていて、中学生でも分かりやすく解説してあるので、雑誌は買わずとも必ずそのページじゃ立ち読みしていた。高校生位に一時反抗期?があって淀川先生の手に掛かると全ての映画が面白そうに思えて、それに引っかかってみて失敗した時に結構逆恨みしたりしていた。それが大学生になると今度はこの見方が今の私の映画への対し方に大きな影響を与えている事に気が付いて、いつの間にかまた彼のファンになっていたのである。

淀川先生も人間だから勿論作品に好き嫌いはおありなのだが、それ以前に映画が好きで好きでたまらないのだ。だからどんなにターキーマークのつく作品でもとにかく一点でも良いところを探す。音楽がだめなら調度品、それもだめなら小道具…と、とにかく何とか見つけだす。だが、実はそれでもだめな場合は、うまく避けていらしたのではないかと思う。こんな風に言っては失礼かとは思うが、だからこそあの名言「私は嘗て嫌いな人に会った事がない」を堂々とおっしゃれるのだ。

色々な著書を読んでいるうちナマ淀川に是非一度は会って見たいと思うようになって漸く実現したのは ’96 年の冬。草月ホールで催された「アイルランド映画祭」での講演だった。その日は確か「フィオナの海」「ナッシングパーソナル」そして最後に「ダブリンバスのオスカーワイルド」の上映日で「ダブリン..」の前にアイルランド映画を語るというものだったが、2月位だったせいか丁度午後あたりから雪が降り始めた。

淀川先生が着かれる頃は結構な降りになっていたが、きちんと早めに到着され、この講演の為に2時間位前から並んでいた私たち一人一人に声をかけられていった。講演はといえば、時間延長を気にされつつ「我が道を行く」「長い灰色の線」「クライングゲーム」等を身ぶり手振りそれにアイリッシュララバイ等の歌やら効果音まで交えて大熱演。とにかく感心するのがあれだけの記憶でまさにウォーキングシネマだったのに講演には必ず原稿、それも分厚いのを用意されていて、その時々の聴衆の反応を見つつ内容を変えてしまわれることだった。その時もぺらぺらと原稿をめくりながら「この辺はつまらないから飛ばそうな~」とか仰りながらお話を進めていかれ初めてその光景に遭遇した私は吃驚したものだ。

それからは機会をみつけては講演会に参加するようなり、時々のテーマが異なっても同じ内容のお話が出てくる事も多々あることに気付いた。だが、これがまたあの独特の話法とお声で何度聞いても楽しいのだ。誰でも小さい頃お気に入りの絵本を暗記する位読んで貰っているのにまだ何度も読んでと大人にせがんだ事があるだろう。これと同じなのだ。そしてこの内容がまた文楽からバレエ、歌舞伎と分野も多岐に亘っていてこれを本当にご自身楽しそうにお話してくださるのだから癖になってしまう。

何といっても間の取り方が上手で飽きさせない。それに決して難しい言葉を使われないからとても分かり易い。お母さまのお腹にいた頃からの感性だからかなう人はいないだろうが、通り一遍の映画解説書にある内容の羅列ではなくて、注意してみなくては忘れてしまっているような細かいシーンまで詳細に記憶されている。見ていない映画でもその語り口にかかるとまるで映画館にいるように目の前に映像が浮かんでしまう。たまには洋画劇場の解説にはみられない口調で「この映画はだめよ」何て仰る事もあって面白かった。

面白いといえば本当にユーモアのセンスのある方で、よく講演の最初に「こんなに大勢の人が来てくれて嬉しいな。私より年上の人いるかな?」とか昨年アテネフランセで初めて夜の講演(ここでは「映画塾」という事で断続的に塾が開講されていた)をされた時は「こんな夜によう来てくれたな。嬉しいな。どうせな、一人、二人、せいぜい 18 人位かと思ったのに」とか仰っていたが、本当に講演は早めに行かないと立ち見(というか、立ち聞き?)の憂き目にあってしまう。生徒も幅広い年齢層とはいえ、確かに先生より年上はいなかったが、たまにお話の中で俳優の名前を度忘れしてしまわれたりすると…ここがまた先生の偉いところなのだが、決して知ったか振りしたりごまかしたりせずに「誰だっけ?」と聴衆である私たちに聞いて、誰かか答えると「あんた偉いな~。若いな~。」と仰るのだが、言われた相手が 50 代、60 代何てことはしょっちゅうで言われた本人が自分の事かときょろきょろしてしまったりしていた。

かくいう私もこんな経験がある。ある時講演後に、写真を撮らせて頂いた。ここに付したものがその時のものだが、その時「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん、一緒に写真撮ろうな。」と仰るので思わず誰のこと?ときょろきょろしてしまったが、目の前ににこにこと待っていて下さる先生がいらした。おまけに緊張して並ぶと「あんたな、ここに座るときは服を脱がなきゃいけないよ」と仰って周囲の空気も和ませてしまった。この写真はあとでとても気に入ってくださり、大きく引き延ばしたのをお送りしようと思っているうちに亡くなられてしまい、とても心残りになっている。

講演後といえば、どんなにお疲れになられていてもアテネフランセでの講演後は必ずサイン等に気さくに応じて下さり我々ファンには貴重なひとときだった。そして別れる時は「握手は?」とご自分から必ず手をさしのべてくださった。近くでお目に掛かってみるとそのまま家に持ち帰れそうな?位本当に小さくて可愛らしいお爺ちゃまだが、何より聞く相手をよく考えてくださる事からたまに会場の椅子の配置が悪かったり狭すぎたりして環境が悪いと厳しく主催者側に注意されたりしていた。

いつでもスーツで登壇され、色々な点でとてもきちんとされた方だった気がする。ところで先生は1度結婚されている。お相手は高野悦子氏。その時の名前はシネマ君。その結婚式でもとてもきちんとしたお婿さんだったらしい。

今年7月に「鶴屋南北からクルーゾーまで」というタイトルで夏らしく?幽霊の話をして下さったのが私にとって最期の講演になってしまったが、車椅子で担がれていらしたのにはちょっと哀しかった。が、話を始めるとそんな事を忘れてしまう位パワフルだったのに 10 月の黒澤監督のお葬式に見えた時の淀川先生が何だか急にかぼそく見えて心配していたところだった。まだまだ長生きして頂きたかったが、最後の洋画劇場の「さよなら、さよなら…」を見ていたらあまりに小さくてあまりに痛々しくてこれ以上頑張ってとは言えない気持ちになってしまった。

毎回の講演での口癖で「私明日死ぬからね。まあ、死んだらお墓にね、小便でもかけて頂戴ね」と仰っていたけれど、もうあのお声が聞かれないと思うと本当に淋しい。私事だが、私は自身のお爺さんというものを知らずに育っているので、おそれ多いが何だか大事なお爺ちゃまを失ったような感じさえする。(でも、そんな感じを持った人は多いのではないかと思う)しかし最後まで現役でそういう意味では羨ましい最期だと思った。最期の言葉も「もっと映画を見なさい」何て。ご遺志を継ぐ人はたくさんいますよ。淀川先生、本当にご苦労様でした。合掌。

鳥野 韻子