アベンジャーズ、マルセイユの恋、ワイルドマンブルース、トゥルーマン・ショー

まずはそこそこ楽しめるものから。で、「アベンジャーズ」。米国での酷評を知りつつRファインズならとりあえず全部見たい私としては見てしまった。シリアスな役回りが多かった彼が小粋な英国紳士の諜報部員になって立ち回りも披露しているが、この人とアクションの相性ははっきり言って良くない。おまけに相手役のユマ・サーマンの方がどうみても長身で2人並べた時の撮影に苦労が伺えた。

話はジェシカおばさんが住んでいそうなのどかな田舎風景にマグリットの絵から抜け出たようなスティードと「探偵スルース」調の迷路庭のついた「薔薇の名前」風屋敷に住むS・コネリーの悪漢オーガスト。彼の仕業で凍ったゴッサムシティみたいになったロンドンを救うべく、滝でのホームズとモリアティ教授との決闘宜しく対決してめでたし。

今回の作品の売りは当時風ローテクと現代のハイテクの組み合わせの妙という事だが、007ほど高度でなくオースティンほどお馬鹿でなく本当に「妙」。ファッションも時代を意識した伝統的なスタイルとハイパーなユマのイルマ・ヴェップを思い起こさせるピタピタスーツ。(人間離れした?スタイルを際だたせて目に楽しい)

随所でやや自嘲気味にしつこいほど「英国」を強調している点は笑えるが、とっておきはサー・オーガストの秘密会議。何しろ参加者は全員テディベアの着ぐるみ着用なのだ。MRビーンの愛熊?風ながら一番渋いテディはオーガスト。あとはピンクやブルーとポップなカラーが12色(人?)も揃っていて、ハードなイメージのビルに子供部屋があるみたいだ。

着ぐるみのまま挙手をする表情をカメラが捉えるのだが、妙に手が短くて頭が大きくとぼけた顔が画面一杯になると会場から笑いが起こっていた。丁寧且つ上品な言い回しによるブラックユーモアは英語の勉強には良いかも。

それと、「マルセイユの恋」今年のフランス映画祭横浜で最終日に上映された作品で、前売りは結構早く売り切れていた。原題は「マリウスとジャネット」。

過去に辛い経験を持つ中年の2人が主人公だ。こう言うとメロドラマ風だが、庶民の逞しさにユーモアの味付けをしたなかなかの小品である。前半はジャネットの口うるささが鼻についてなかなか雰囲気に馴染めなかったが、中盤位から引き込まれる。

どこにでもいそうな、ごく普通の人々の、下町風の人間関係とそれぞれの家庭の模様を冒頭にあるように“お伽話”風に綴っている。主に使われているのはヴィヴァルディの「四季」とパバロッティの歌う「オーソレミヨ」。これが主人公達の心を反映して実に巧く分かりやすく挿入される。飲んだくれた男3人がはしけに並んで横になるところを俯瞰でとるとシャツの色が丁度トリコロールに見えたりして色彩も面白い。

マルセイユでマリウスとくれば、ついマルセル・パニョルの3部作を連想してしまう。コミカルでいて社会批判にも長けていて、その辺が嫌みにならない程度に軽い会話が交わされてなかなか笑わせてくれる。

コミカルといえば渋谷で上映中の「パリの横顔」第3弾“味覚の街パリ”。中から何となく一番パリらしくなさそうで、未公開の「ファーストフード」を選んでみた。田舎の純情青年が保護者の祖父を亡くし、自分の保護者になって貰おうと1度だけ関係した黄色い髪の女性を追ってパリに来る。とりあえず得たファーストバーガーでのバイトから順調に出世したが、やっと会えた女性に拒絶されて初めて自分の人生を歩み始めるという目新しさはないが非常に分かりやすい作品だった。短めのパンツを穿いたのっぽの青年は僕の伯父さんっぽい演出でそれなりに笑えはするが。

締めは「ワイルドマンブルース」と「トゥルーマン・ショー」。前者はすぐにレイトショー化してしまうので焦って見たわけで、私などがWアレンを語ると怒る人がいるのであまり言いたくないが、終わり近くで登場する彼の両親が天然ぼけでおかしい。特に96才の父の発言は爆笑もの。ドキュメンタリーとしても一級の出来だ。続く「地球は女でまわっている」も楽しみ。「トゥルー…」の方は連日試写会場は混雑という噂だし、あのP.ウイアーというので期待してた。マスコミの養子が30才位迄人工の人生を送っていたという発想は確かに現代を風刺していて面白いし、スポンサーの製品をその中でさりげに宣伝したりする着想や、舞台が「シザーハンズ」みたいに可愛いく、Jキャリーも得意のゴム顔でなく演技で勝負してたし、文句ない出来なのだ。だが、内容の割には何だか今一つパンチが利いていなくて手放しで絶賛出来ない、何とも言えない脱力感が残ってしまった。

次はこわい作品。先の「トゥルーマン…」がラストで人工島から勇気を持って脱出するのと反対に「砂の女」的な空しさが残る「CUBE」。六本木で上映中は大混雑の上に朝から全ての回の整理券を配布してしまうので見れず、渋谷でやっと実現。雨天を狙って行ったのに座布団組だった。視覚的に気持ち悪い映画は見ない主義の私でもぎりぎり正視出来る画面だが、心理的にこわい。場内しーんとして皆の緊張感が感じられた。対し怖そうで全然期待はずれだったのが「ダイヤルM」元祖ヒッチコック作品のリメイクだがさすがに..を回せとはこの時代つけられなかったようでこの邦題である。プロットが甘い。ポワロ役者が老練な刑事になっているのはご愛嬌。随所に登場する絵画はデニス・ホッパーの提供とか。「大いなる遺産」に続き絵描きに縁のあるG.パルトロゥのながーい首を見るのは楽しいかも。M.ダグラスといえば過激なシーンが多いが、流石に子供の頃から知っている彼女との絡みは避けてもらったとか。いよいよ23日からは英国、今月末からは東京国際映画祭が開催されるが、今年は一部チケットの発売が遅れたりしてゲットするのに結構苦戦。映画祭の様子は順次レポートする予定。

鳥野 韻子

「ロスト・イン・スペース」はココも見どころ!

クリスマスから新春にかけて注目度大の洋画といえば、やはり SF 映画「ロスト・
イン・スペース」か。アメリカでは公開するやいなや、あの「タイタニック」を
追い抜ぬいてたちまち興行成績トップに躍り出たという作品。日本でも 12 月 12
日の一般公開に先駆けて5日(土曜)の夜に新宿で先行ロードショーが行われた
ので、もう見た人もいるかもしれない。

ザンネンながら私は見なかったが、その代わり日本ビクターショールーム「ニッ
パーズギンザ」の「 SF 超大作『ロスト・イン・スペース』、オープニングの6
分間の CG はどう作られたか?」と銘打ったイベントを覗いてきました。

そう、この映画、ゲイリー・オールドマンの怪演も見ものらしいけど、SFX がお
得意なハリウッド製だけあってそっちのワザもかなりのものらしい。とくに CG
は全 756 ヶ所、「ジュラシック・パーク」の2倍以上も使用しているという。
で、この日はその道に詳しい日比野陽一郎なるお方が、とくにすごいといわれる
オープニングの6分間について解説をしてくれた。(話は少しそれますが、参加
者は老若男女さまざまでした。後半にデジカメかなんかを取り出して写し始めた
初老のカップルまでいたのにはビックリ。若い女性が意外に多かったのはゲイリ
ー人気のなせる技でしょうか。後で分かったのですが、フジテレビの CG 担当者
も来ていて、なるほど、専門家にとっても注目度大の映画なのかと知ったのでし
た)

さて、「オープニングの6分間」について。何と、宇宙も地球も主人公たちが乗
っている宇宙船ジュピター1も、戦闘機(バブルファイター)もみーんな CG な
んだそうな。CG 映像にちょっと詳しい人なら驚きもしないだろうが、私は何も知
らないシロートなので驚いた。ホリゾント(青バック)を使った合成映像なら TV
番組でさえ多用されているのは知ってるが、まさかここまで何もかもが CG で構
成されてるなんて思いもよらなかったのだ。だって、映像がほんとにリアルなん
ですよね。

戦闘機バブルファイターの場合、主要キャラクターの一人、ダン少佐が乗ってい
るシーンは、操縦席(ほんとに椅子のみ)と操縦桿とダン少佐だけが本物。本体
も背景の宇宙も CG だ。しかもダン少佐の顔がよく判別できないぐらい戦闘機
が小さく映る部分では少佐さえニセ者。CG の本体の中に少佐の顔写真を張りつけ
た CG 人形を乗せているという。ただし人形といっても人間の動作をモーション
キャプチャーなるソフトで読み込んだデータを使用して、人間同様の動きをする。
つまり、たとえ観客にははっきり見えないシーンでも、戦闘機の中ではこの CG
人形が手抜きせずちゃんと演技しているってわけなのである。日比野氏は「カンタンなんですよ」とか言って、 CG 人形の作り方をチョチョイとやってみせてくれたが、実際に映像の中にいちいちそれを組み込むことを考えたらけっこうな手間。省いてもいいようなところも省かずきっちり描いていく、これが CG でリアリティを出すコツなのかもしれないと感心したものだ。

ちなみに、私にはその数字の価値がとんと分からないのだけど、バブルファイターが 25 万ポリゴン、ジュピター1にいたっては 320 万ポリゴン。日比野氏が感動をこめて話していたから、かなり忌みのある数値なんだろう。

おもしろい裏話をひとつ。「オープニングの6分間」では宇宙の塵がひっきりなしに飛んでくる。これもすべて CG なのだが、この塵、まず動きから作るそうな。アトランダムに飛んでくる塵が向こうから手前へと移動する、その軌道を最初に設定するので、物体の形は当初は球や四角柱などプレーンなもので代用することが多い。この映画のときにはユーモア溢れるスタッフが物体のいくつかをテディベアで代用した。そう、クマさんですね。軌道の設定が終わると、いよいよ物体を宇宙の塵らしい形に置き換える作業に入る。しかしこの塵、無数に近いほど大量にあるから置換作業はとてつもなく大変だ。それでどうやらひとつふたつ置換忘れがあったらしいのである。日比野氏の話だと、画面の中には何やらテディベアっぽい塵があるとか無いとか。そういや私が見たときもそんな形があったような……。

見事テディベアを見つけた人には賞金を差し上げます!

なんてのはウソだけど、もし「ロスト・イン・スペース」を見に行ったら、宇宙の場面ではちょっと目を凝らしてみては? クマさん型の不思議な塵を発見するかもしれませんよ。

日比野氏は他にもいくつかの例について実際に目の前のパソコンをいじって実演しながら説明してくれたので、何も知らない私でも CG の作り方についてかなり知ることができ、なかなかおもしろいイベントだった。CG の好きな人のために付け加えれば、「オープニングの6分間」を製作したのはイギリスの The Magic Camera Campany。他に「ベイブ」をはじめとするクリーチャー製作の第1人者ジム・ヘンソン工房など、全 12 工房が CG 作りに参加している。もちろん NASAのアドバイスもあり。使用ソフトウェアは Avid Media Illusion / Elastic Reality / 3D Studio Max / Light Wave など。

映画ファンのために付け加えれば(とっくに知ってるだろうけど)、この作品は65 年から 68 年にかけてアメリカ CBS で放映された TV ドラマ「宇宙家族ロビンソン」のリメーク。テレビ番組で主要な役柄を演じた俳優たちは、今回、映画の中では別な役でさりげなく登場しているそうだ。またテレビ版は日本テレビで土曜深夜に放送されているので、興味のある人は見てみたら? けっこう笑えます。

それにしてもハリウッドの技術は進んでる。それに、俳優さんも大変だと今回はつくづく思った。だって、操縦席と操縦桿だけのちゃちなセット、青い壁を背景に、スピード感あふれる宇宙戦争を演じてみせなきゃならないんだからね。こういう演技で万が一アカデミー賞を貰えたとしたら、1.演技の天才、2.選んだ奴等がアホ、3.あるいは同業者として同情した、のいずれかだろう。まあ、1ってことはほとんどないと思うけど。

□12月12日、全国の松竹洋画系、東急系でロードショー
監督:スティーブン・ホプキンス
(「エルム街の悪夢5」「プレデター2」など)
CAST:ジョン・ロビンソン/ウィリアム・ハート
妻モリーン・ロビンソン/ミミ・ロジャース
長女ジュディ・ロビンソン/ヘザー・グラハム
次女ペニー・ロビンソン/レイシー・シャベール
長男ウィル・ロビンソン/ジャック・ロビンソン
ダン・ウエスト少佐/マット・ルブランク
ドクター・スミス/ゲイリー・オールドマン

quittan

CUBE

この映画は見事なパズル・ストーリーだ。

上下左右同じ模様の立方体の部屋が、上下左右にいくつも続く、謎の空間に閉じこめられた6人の男女が、脱出を目指して苦闘する。それぞれの部屋にはトラップが仕掛けられてあり、それらが人々の命を奪う。果たして彼らは脱出できるか?

彼らが閉じこめられた空間が、まずパズルそのもの。どうすれば安全な部屋を選択できるか?どうやってトラップを見破るか?

その空間的なパズルに加えて、人間関係・役割分担のパズルがある。それぞれの登場人物が、前半と後半で全く別の役割をもって行動することになることに注意。全く役立たず、あるいは足手まといと思われていた人物が、ある場所にはめ込まれると、脱出への鍵となるのだ。また、人間関係が、凶器ともなりうる。

この空間がどうしてできたか、誰が彼らを閉じ込めたかという答えは、はっきりとは語られないが、一人の人物が語る断片的な真相(?)は、皮肉で面白い。ほかの人物たちの推理は、宇宙人の仕業という「X-ファイル」風のものや、軍産共同体の陰謀という「JFK」風のものがあり、にやりとさせられる。

この映画は、二つ分の部屋のセットと、わずかのCGによって制作されたという。低予算の縛りをこれでクリアしたわけだ。ほとんど同じ模様の部屋の壁しか映らないにもかかわらず、緊迫感が最後まで持続する。上記の二つのパズルを組み合わせた見事なアイデアと脚本だ。ただし、この物語はあくまでパズルであり、潔く解釈や教訓の部分を切り捨てている。

俳優たちの選択も優れている。誰が最後まで生き残るか分からず、それぞれのキャラクターに与えられた、前半と後半で逆転する役割を巧みに演じている。

アイデア、脚本、演技、撮影の妙で低予算を逆手に取ることに成功した、経済性の高い作品である。

高野朝光

ムトゥ 踊るマハラジャ

映画を観て元気になりたい人は、いますぐこのインド映画を見に行こう。インド映画、なにそれー、などと言うあなた、は絶対損してますよ。これは、それはそれは楽しい、プリミティブな迫力にあふれた快作なのだ。技術的・ストーリー的に優れているとはとてもいえない。しかし、先進国が忘れてしまったハッタリ、いい加減さ、思い切り笑うことの気持ちよさを思い出したかったら、この映画を観ることだ。

主人公のムトゥは、若主人に仕える馬車係。マハラジャではありません。しかしこいつが、見たところ四十男だが、実にいい笑顔をしている。長いマフラーを首にかけたままビュンビュンと振り回すのがかっこいい。何かあると、歌って踊る。踊り出すと、もう15分くらいずっと踊りっぱなし。どこからかバックダンサーも出てくる。背景も代わり、衣装も替わる。ストーリーの進行に支障をきたすけれど、そんなこと気にしない、気にしない。

冒頭、ご主人の誕生日に、どこかの寺で健康と安全を祈っていたムトゥ、それから自慢の馬車でご主人の屋敷に一目散に歌いながらつっぱしる。このシーンが、まるで千里万里を越えてきたように撮られている。いったいどこまで行ってたんだ、ムトゥ!

ストーリーは、結婚もせずに芝居三昧の若主人が旅芸人の女優に惚れてしまうが、彼には、腹黒い叔父が連れてきた許嫁がいた。さらに、彼女は、初めは喧嘩ばかりしていたムトゥにほれてしまい・・という、ありがすぎてなかなかないラヴコメディ。この問題を解決する鍵として、後半デウス・エクス・マキナ的に登場する聖者様と、唐突に明かされる過去の因縁話など、上質とはいえない脚本だが、ここは、歌と踊り、そしてディテールを楽しもう。

悪漢どもにさらわれそうなヒロインを助けて戦うムトゥ、マフラーをビュンビュン振り回し、仮面ライダーのようにジャンプし、香港カンフー映画にようにビシバシとやっつける。ムトゥの馬車が、数十台の敵の馬車に追われるシーンは壮観。馬車が次々とクラッシュするシーンは「駅馬車」並の決死のスタントだ。走りすぎて、言葉の通じない地域に来てしまい(インドは数十の言語のある他民族国家なのでした)、ヒロインに教わったとんでもない言葉を話したため(外国人相手によくやるんだよね、こういう悪戯)、木に縛りつけられる、ラヴレターが次々と人手に渡り、それに誘われた人々が、お互い隠れ合う、等々、他愛なさが、かえって芸になっている。役者たちが実に楽しそうに演じていて、観ている方も楽しくなる。

繰り返すが、この映画の魅力は、先進国が失った、プリミティブなパワーと楽しさ、ということに尽きる。こんな楽しいだけ(それでなにが悪い!)の映画は、発展途上国でしかつくれないのかもしれない。インドの現実は厳しい。先日死去された漫画家ねこぢるの「ぢるぢる旅行記 インド編」では、自由恋愛の認められないインド人が、若い恋人たちが歌い踊る他愛ない映画に陶酔し、トランス状態で画面にのめり込んでいる様が描かれているが、この映画もインド人のとっては、現実からトリップするためのひとときの麻薬なのだろうか。俳優たちの笑顔がやたら明るいのは現実の裏返しか。

いかん、暗くなってしまった。こんなことを考えながら映画を観るのは邪道でしかない。上の段落に書いたことは忘れよう。思いっきり笑いたい人は、今すぐ映画館へ行って、この映画を観よう。そして、笑え、歌え、踊ってもいいぞ。すれっからしの映画ファンどもに告ぐ。先進国映画界に突きつけられた貧者の核爆弾「ムトゥ 踊るマハラジャ」を堪能せよ!

高野 朝光

アキ・カウリスマキの「浮き雲」

プレーンだからおもしろい

花田清輝の作品集を読んでいたら、坂口安吾の「あきらめアネゴ」と称する小文を紹介するくだりが出てきて、この「あきらめアネゴ」というネーミングを私はけっこう気に入ってしまったのでした。銀座並木座の最終上映週に見た「晩菊」の、細川ちか子扮する役柄をふと思い出し、言い得て妙だと思ったのです(ちなみに清輝の小文は「日本人の感情表現」。興味のある方はご一読を)。

そのネーミングを真似るなら、「浮き雲」は「諦めずアネゴ」、いや「懲りないアネゴ」と「懲りないアニキ」の物語ってことになりますか。路線バス運転手の夫とレストラン給仕長の妻が新たなローンを抱えたところで共に職を失ってしまい、悪戦苦闘して職を得るまでのお話。と書けば汗と涙の感動物っぽいが、どっちとも無縁。というのもイロナとラウリのこの夫婦の苦闘ぶり、どうにもおマヌケなのである。ダンナがトラック運転手の仕事を見つけてきて喜んだのもつかの間、目の検査で落とされた上に運転免許まで取り上げられちゃうし、奥さんは怪しげな職業斡旋所で高い斡旋料をふんだくられたあげく、悪徳レストランでただ働きするハメに。てな具合にせっせと就職活動するもののことごとく失敗の憂き目に遭う。まぁ、この手の苦労は今の日本にもないとはいえない。が、二人の場合はさらに自家用車を売って作ったなけ無しの虎の巻を、もっと増やそうとマジでカジノに乗り込んで、あっけなくスッてしまうのだ。

せっぱ詰った大事なときにこの思慮分別の無さ。しかもどちらかといえば滑稽味をもって描かれているので、ときにこいつらアホかと呆れもする。しかしよくよく考えてみれば、人間のしていることなんて案外こんなものではないだろうか。どんな状況下でも理性的且つ適切な判断を下せる人なんてそうはいないし(たとえば最近信者が訴訟を起こしたことで巷を賑わしている某女優と女性総師の問題にしても、信者には切実な理由があったのだろうけど、客観的に見れば1億円ものお金をつぎ込むのはやっぱり常軌を逸しているとしか思えない)、ご本人が悲劇と感じているほどには物事は悲劇的に見えないものなのだから。

カウリスマキという監督は、本人にとっては切実で悲劇的、だけど他人から見れば滑稽、といった設定を作るのがうまい。「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」はサイコーにかっこいいと自負するロックバンドがアメリカに行ってズレを体験する話。「コンタクト・キラー」は自分を殺してほしいと殺し屋を頼んだ主人公が急に死ぬのがいやになり、その殺し屋から逃げ回る話。「愛しのタチアナ」なんて、冴えない男たちが冴えない女たちをナンパして、しかしアメリカ映画の主人公のようなかっこいいデートとは似ても似つかぬぎこちなさを丁寧に描いてる。

ただしどの作品も主人公を貶めたり嘲笑していはいない。むしろ他者の眼にはバカバカしく見えても本人には重要な意味をもつものがあるのだということ。そしてかっこよくなくても滑稽でもいいじゃないか、というカウリスマキの人生観とそういう生き方をしている人々への共感が一環して流れている(うがった見方をすれば、ヨーロッパの田舎と言われ国際経済からはやや遅れをとりながら独自の生き方を摸索している北欧の、こういう生き方もいいじゃないかという肯定論ともとれなくもないが)。それに彼の作品の主人公も自分を悲劇のヒーローやヒロインに仕立ててメソメソ自己憐憫に浸ってはいない。「浮き雲」にしても、なんの取り柄もない夫婦が、甘くない現実から決して逃避したりせず、愚痴も言わなければ誰に責任転嫁するでもなく、闇雲とはいえ自分たちの責任で前向きに生きていく。この「凝りなさ」がよいではないか。

それにしても、相変わらずセリフの少ないこと。「マッチ工場の少女」の極端な無口は例外として、今回の二人も小津作品の笠智衆よりセリフが少ないのでは?

映像もとてもシンプルだ。うるさいカットバックもないし、奇をてらったつなぎ方もしていない。主人公もごくごく平凡。それでいて結構最後まで見せてしまう。カウリスマキっていい腕してるとつくづく思ったのでした(余談ながら、私は彼の「ラヴィ・ド・ボエーム」も好きです)。

quittan

「ダライ・ラマ」The Dalai Lam

宗教家はエラいのか?

今回はシネマといってもドキュメント。「阿片戦争」がレンタル中だったので、じゃあ同じ中国系でと手に取ったのがこのビデオだ。制作が97年とあるのは、ハリウッド映画「セブン・イヤー・イン・チベット」を意識して作られたってことだろうか。それはともかくダライ・ラマ14世の半生に焦点を当てつつ、チベットの宗教社会を描いたなかなかおもしろい作品である。

チベット仏教の最高者ダライ・ラマとはキリスト教でいえばローマ法王のようなものか。ただしダライ・ラマの場合、ご存知のように生まれ変わりによって継承されるのがルール。ダライ・ラマが亡くなれば、どこかでその生まれ変わりの赤ん坊が誕生すると信じ、生まれ変わりを探し出して位につけるのである。そのために高僧たちはチベットと呼ばれる狭い地域だけでなく、広くあちこちを何年もかけて探し回る。

あまりに非現実的なシステムだが、むしろ政治的な理由があってのことだとこのビデオは指摘する。共産中国が入る前のチベットは前近代的な宗教政治社会であり、政治を司るのは僧だった。しかし僧たちの間には当然のことながら派閥ができる。放っておけば力のある派閥に都合のよい者が選ばれたり、一部の寺院や僧たちだけが得する選定が行われてしまう。そこで、そうした不公平をなくすため「生まれ変わり」が最高者選定の基準となったらしいのである。ま、生活の知恵というやつでしょうな。

ほんとかどうか知らないが、ダライ・ラマの生まれ変わりと言われる子供は前世の記憶をもっており、ダライ・ラマ時代に使ったものなどを覚えているとか。しかし選定のためのテストは厳しい。偽物を混ぜたりして徹底的に真偽を追及する。これにパスしたのが現在のダライ・ラマ14世だ。彼はわずか5歳にして最高者の地位についた。ただし、18歳までは実権を握ることが許されないため周囲の高僧たちが摂政を行っていた。あれ?この手の言葉、日本史の授業にも出てきたと思いません?ほら、坊さんたちが権力を握って政治に嘴突っ込み始めた平安時代辺りに。

そう、社会構造も平安時代によく似てるのだ。チベットは貴族社会で少数の貴族が膨大な荘園をもち、農奴をこき使っていた。僧たちも貴族といわば結託していた。ダライ・ラマ14世だってごく平凡な出身なのにこの地位に選ばれた途端、両親は広い荘園をもらって贅沢三昧。ご本人も王侯のごとき生活で、お抱えの料理人は山ほどいるし、彼が飲むヨーグルト一杯のために何十頭という山羊が飼われていたそうな。1日一滴のヨーグルトさえ農奴に与えられなかった時代にである。

実はパッケージの解説に「中国から見たダライ・ラマ」というような断り書きが入っていて、意味ありげだったのでどういうこっちゃと思っていたのだが、見てなるほどと納得した。ダライ・ラマを悪く描いているわけではないが、彼は貧しい農民を搾取する特権階級で荘園主であり、農奴は文字どおり奴隷のようにこき使われ、ボロを着て食べ物もロクに与えられない。そんな彼らに土地を開放し、幸せな暮らしを与えたのは人民解放軍だというわけ。まさに中国サイドから見たチベットであり、フィルム構成も多分に共産主義プロパガンダ的だ。

しかし、そうした偏りはあるにせよ、今、世界的に高徳の師と仰がれているダライ・ラマがいったいいかなる者なのか、あるいはダライ・ラマとはいかなるシステムで成立しているのかを知るための資料としては興味深い。

私たちは宗教者というとどうしても俗を脱した徳の高い人間を想像しがち。政治から離れ贅沢などというものからも離れた清く正しい人だと思ってしまうものだ。しかしそもそも宗教とは何なのだろう。太古の昔を考えてみれば、宗教には祭祀を司る役目が強く、祭祀、祭はイコール政(まつりごと)でもあった。それに長い歴史を振り返れば、宗教者も所詮ただの人間であることは明らか。むしろ宗教者に過大な期待をする方がおかしいのかもしれない。

この作品は、貴族政治の影響を受けていた若き日のダライ・ラマ14世しか描いていない。それに恥ずかしながら14世がそれ以後どんな生活をしてきたのか、どんな「徳を積んできた」のか私は知らないので、これ1本で彼をどうこう言うことはできない。ただ、世界平和とか人種の平等といったテーマのときには必ず登場するダライ・ラマもかつて違う生き方をしていた時期があったのだということ。

それにしても共産主義国のプロパガンダ映画って、どうしてこう自国を誇大PRしたがるんだろう。

quittan

「てなもんや商社」

5「てなもんや商社」 監督:本木克英/出演:小林聡美、渡辺謙 他

堅すぎて、ちとザンネン

邦画というヤツがどうにも苦手で、ここ数年、古いもの以外はほとんど見ていない。が、タイトルが何やらありそな「てなもんや商社」、ロケ先が中国、そして主演がアイドルタレントではなく小林聡美とくれば、それなりに笑わしてくれるんじゃなかろーか――と期待を胸に見たのだが、手堅すぎてガッカリでした。

適当なところに就職してグルメ三昧、遊び三昧、2~3年したら結婚退社、というお気楽な夢を描いて就職活動する主人公の小林聡美が、運良く、というか運悪く引っかかったのが、中国に洋服や縫製製品を発注し、出来上がった製品を日本国内の企業に売る小さな貿易商社。

ところが発注先が中国なもんだから(あ、これって偏見ですね)、納期は遅れる、注文どおりの品物ができない、材料が届いてないとウソをついて過分に物を要求する。これらの手配やケアやらで毎日てんやわんやの忙しさ。

その上、輸入した商品を社員みずからあちこちへ売り込みに行かなきゃならないし、社員ときたら直属上司の中国人、王(渡辺謙)はじめ、ちょっと変った人たちばかりで、上司は叱ったり責めたりしない代わりにどんどん仕事を回してくる。かくして聡美嬢は入社初日からハードな日々を送ることになるのである。

やがて、文句もタレずオシゴトする聡美嬢は王のお供で中国入り。日本人のお得意さんを連れてさっさと引き上げてしまった王に代わって検品を担当する。が、中国式接待で酔いつぶされたり、ど田舎まで検品しに行くはめになったり、さらにはそこでクルマが溝にはまり込んで身動きできなくなったりと、さまざまなアクシデントに遭遇するのである。

しかし、それも過ぎてしまえば楽しい思い出。今では会社で元気に働く聡美譲――。

というのが粗筋だが、はっきり言って冴えない映画だ。まず、何が来ても「そんなもんかぁ」とクリアしてしまう主人公の性格。小林聡美のひょうひょうとしたキャラクターのお陰でどうにかつじつま合ってるものの、主人公が本気でグルメ三昧、お遊び三昧指向のOLだとしたら、この会社、この仕事に「そんなもんかぁ」で済むはずない。心のうちに怒り、苛立ち、葛藤が渦巻いてしかるべき。いや、お気楽指向のOLじゃなくたって、普通はもう少し葛藤するんじゃないだろか。

ところがこの主人公、まるでのれんに腕押しなんですね。そりゃあ、世の中には彼女みたいに順応性の高いOLさんもいることだろう。それに感情の起伏の激しくない人がドラマの主人公になったってかまわない。が、この映画みたいに流されっぱなしだとキャラクターとしての魅力が出てこない。ストーリーの都合に合わせて動いているだけって感じだ。

もちろん、「てなもんや商社」のタイトル通り、主役は会社、という見方もできよう。「できないことをできるようにしていくのが私たちの仕事。最初からできると分かっていることをやってもおもしろくありません」と厄介事をひょうひょうと片づけていく渡辺謙や、一流商社にいたのに活気の無さに辟易して転職した柴俊夫など、集まるのは日本の会社社会の規格からはちょっとズレているが個性的で仕事に夢を持っている人たち。そして会社はといえば秩序もルールもなく一見いい加減だが、自分次第では夢が実現できる場所でもある。ね、世の中にはこんな会社もあるんだよ、みたいな。

しかし、そうだとすれば会社内のエピソードがあまりに弱い。社内のシークエンスはパターンすぎるし、個性的であるはずの社員たちも、その個性は型通り。この映画ならではの個々の魅力作りにまで至っていない。要するにどこをとっても上っ面だけしか描かれていないってこと。いかにもおもしろそうなキャラクターをあちこちから駆り集め、おもしろそうなエピソードをつなぎあわせただけにすぎないまのである。

それは中国という国に対しても同じ。観客の知識と想像力に頼りすぎていて、なぜギャップが生じるのか、といった点に全く触れていない。ことさら説明せず異国のひとつとしてサラリと描きたかったのかもしれないし、実際、こんな風にサラリと流して効果を上げる監督もいる。だが、この映画に関してはそれがうまくいっていない。だいたい、せっかく中国くんだりまで行って、ありきたりの映像で終わりってのがあまりに情けない。一体全体この監督、中国について感動したり表現したいと思ったものがなかったんだろうか。

ストーリーに破綻があるわけではなく、見苦しい映像があるわけでもない。達者な役者が揃っているから、演技のぎこちなさにウンザリさせられることもない。スーッと見てしまえば楽しめない映画ではない。

でも、正直なところ、この監督、何が撮りたかったんだろうねぇ。映像が平凡、言いたいことも中途半端。オシゴト来たので引き受けました、映画の手法は一応勉強してますから、常道に沿って手堅くクリアしたと思いますよ、ってな風で、味もおもしろみもないんだなぁ。

それに淡白系を狙ったのだとしたら大きな勘違い。なぜなら一見淡々とした映画とは、実は映像が濃密で映像自体が饒舌。景色ひとつにも監督のこだわりがしつこいほどこもっているものなのだ。しかしザンネンながらこの作品は映像も淡白で無口。それも、言いたいことを抑えているというよりは、何も言ってない。

私は日本人の若手監督にありがちな一人よがりの作品は好きじゃない。だが、監督の第1回作品だというソツなく優等生っぽく、しかし個性のないこの映画を見ていたら、まだしも一人よがり系の方がよいかもしれないと思ってしまった。おもしろい作品を見つける嗅覚はあるみたいだから、2作目は(そんな話があるとして)、もっと何とかしろよー!

quittan