マトリックス

既にwww.whatisthematrix.com/japanはご覧でしょうか?結構凝ったつくりのこのサイトは、映画の秘密を垣間見る事ができるお勧めです。(しかし結構重たいので56Kモデムでないと。)

カンフーを取り入れたワイヤースタント(ワイヤーワーク)と毎秒1万2千コマをあやつるマシンガン撮影の魅力は映画が始まると共にいきなり登場する。この映像を見るだけでも価値がある。

独創的なストーリーの枠組みもあり、このSFはSFファンでなくても問題なくすんなりと入り込めるのではなかろうか。

視覚効果監修のジョン・ゲイターいわく、「「アキラ」や「北斗の拳」を目指し、日本のアニメがやっている動き表現したかった。」と。いまハリウッドはジャパニメーション(日本のアニメーション)を研究していることに間違いない。

緑のコンピューターをイメージさせるカラーは見ているうちに脳裏に焼き付き、自分の中でも次第に理解していくWhat is The Matrix の答えと共に、マトリックスがここに存在しているのではないかと錯覚させるだろう。

但し、日本的というか中国的なイメージのシーンになるとやはりハリウッドの一番弱いところ。いいかげんなインテリアは惨めだ。なさけない掛け軸、建築に泣かされる。

3部作のうちの第1話というこのストーリーはまだ始まったばかりで、実際この映画を見終わってすぐさま第2話を期待してしまった。次回作では未来での戦闘が続くのだろう。第1話だけでは「ブレードランナー」に及ばないSFという評価だが、2、3話で完結した暁にはもしやそれを超える事ができるのかもしれない。第2話しだいでは第3話が今回のSTAR WARS EPISORD 1のようにシリーズのように迎えられることもあるのではなかろうか。反対に第3話が作られないという可能性も十分にあるが。

実際そのころにはさらにCGはグレードアップしているから、今回の映像を超えたものが生まれるのは間違いないわけだから、それをいかにコントロールしていくか、まとめていくかが監督の手腕だ。ただ使うだけではろくな作品がうまれない。今見てもまだ新鮮に感じる「ブレードランナー」や、その他の名作がなぜそうなのかという辺りに答えがかくされているのだろう。

立野 浩超

セレブレーション

先週の記事より反論を頂いたので、その方からの評をこちらでご紹介いたします。ScreenKissでは、読者の方からのご意見もご紹介いたしますので、我はと言う方はご投稿ください。(ご期待に添えないこともあります)

父親の60歳の誕生日に、子供や親戚が集まってお祝いを開く。一見どこにでもある平和な風景である。しかし、そこで繰り広げられたのは、尋常ではない親子の対決だった。車の鍵を隠された親戚たちは、親子対決の観客兼審判として残ることを、強制されてしまった。

宴会の場での長男クリスチャンの告白に驚きながらも、母親はそれは作り話よねと言いながら、そうした話は内輪の時にして欲しかったと言う。良識にあふれた人たちは、問題のある時は当事者同士で充分に話し合うのが良いという。家庭内の問題の時は、家庭内で充分に話し合えと言うわけだ。ちょっと見は正しそうな発言だが、家庭内での人間関係が上手くいっていないから、問題が起きたことに彼等は気づいていない。家庭が問題を起こしたのだ。犠牲者を生み出した家庭が、独力で問題を解決できるはずがない。

親の体験を子供に伝えることが有効性を失ってきた現代、親の恣意は次世代の教育に障害になってきた。そのため、旧来の躾を廃して、子供の生きる力をそのまま伸ばそうという、社会的な空気が生まれてきた。それがこの映画の背景である。この映画は最近公開された「ファザーレス」と同じ主題である。

家庭内の顔と家庭外つまり社会的な顔は、本人の中で一体化しているので、家庭内の顔だけを直すわけにはいかない。とくに親はすでに長く生きてきたので、彼や彼女自身の生き方全体にかかわってくる。小さな時にできた親子関係は、長い間にわたって固定し、親が本当に現役を退くまで上下関係は続く。生まれたときから作られてきた親子関係は、実に強固である。だから、そう簡単には関係が変わるわけがない。家族が対決するときは、この映画のように観客が必要なのだ。

この父親のように、子供たちに近親相姦をしていたり、また虐待していたりすれば、問題は簡単である。今や、いくら家庭内の問題とはいえ、外の人たちもそれに介入する。しかし、家庭的にも良くできた人で、社会人としても品行方正だが、親子関係が破綻したとなると、その非難はすべて子供の方へ来る。立派なご両親なのに、どうしてあんなお子さんができたのでしょうね、と言うわけだ。暴力を振るう親など、親に問題がある場合のほうが解決は簡単だろう。親は子供に愛情を持っているとみんなが思っているから、ことはやっかいなのである。

ロバート・デ・ニーロとシャロン・ストーンが演じた「カジノ」でもそうだったが、非の打ち所のない素晴らしい夫で、妻の言うことは何でも聞き、妻をいたわる。それでも荒れていく妻。これでは妻の方が、悪く言われて当たり前である。親子でも同じで、この映画でも父親はホテルの経営者で、立派な社会人である。立派な親と子供の関係こそ、子供には何とも言いようのない重圧であり、桎梏なのである。親子関係の本質が、少しづつだが理解され始めたので、こうした映画がつくられる。 この映画でも、家族の絆を確認しようとしながら、そのそばからこぼれ落ちていってしまう様が、良く描かれていた。近親相姦や暴力は論外としても、親もどう子供に対して良いか判らない。男性だけが人間だった時代から、女性も人間だと言ったフェミニズムを経て、今や子供も人間なのだ。子供は未成熟であるがゆえに親に監督権があるのではなく、親は子供という命を一時的に預かっているだけなのである。子供は子供のままで自立した人間である。

この映画は、手持ちのカメラで撮られたようで、画面が簡単に転換し、カメラが狭いところにも入っていっていた。舞台は田舎のホテルだけ、出演者は全員でも40人くらいと、きわめてこじんまりと制作されている。技術的には感心しないことが多かった。それでも見るに耐えるのは、やはり主題を支える問題意識のせいだろう。

トマス・ヴィンターベア監督はドグマ95に属し、純潔の誓いに署名しているのだそうだ。それは、「すべてロケで撮る」「セットを組んではいけない」「音楽を使ってはいけない」「人工照明の禁止」「手持ちカメラ」などと言った十戒を守るのだそうだが、まったくナンセンスな話だ。ドグマ95に属するラース・フォン・トリアー監督が作った「奇跡の海」は、最悪だったではないか。

技術の選択肢は多い程良く、技術に溺れることによって、画面の緊張感が薄れるとしたら、ただ下手だというに過ぎない。この映画で、照明不足により顔にモアレのようなものがかかって妙な効果がでていたが、あれは単に怪我の功名だろう。SFXなどを使ったからと言って、良い映画ができるわけではないのは確かだが、技術を嫌うことなく技術に溺れることなく、きちんと主題を押さえてって欲しい。1998年のデンマーク映画で、怪しげな技術ながら現代的な鋭い問題意識にもとづいた優れた映画であると思う。

本文全体は下記にて公開
http://www.netpro.ne.jp/~takumi-m/セレブレーション.htm
匠 雅音

恋は嵐のように

こんなものだろう、と覚悟して観たものの、やはりサンドラブロック作品だったか…という感じ。いやこの作品に関しては彼女は悪くない、と思う。

もともとさほど美人ではないから正統派の役よりはこういうドタバタ系の女の方が合っているとは思うし、アンチ・サンドラの私でさえ可愛く思ったほどだ。

ではなにがいけないのか、ベン・アフレック、彼も決して悪くない。童顔マッチョな雰囲気が優柔不断男にはもってこいだし、もともとアクションからコスプレ系までこなせる演技力の俳優である。

要するにストーリーそのものが問題なのだ。相次ぐ災害も最後の方にはしつこくなりすぎてリアリティが全くないし、さんざん結婚に対する批判をしておきながら結局モトサヤか?!

ストーリーの流れとして、サンドラとベンのハッピーエンドは無理にせよ、もう少しラストで2人の関係をクローズアップさせ、いかに彼女の存在が素晴らしかったかをアピールするべきではなかったのだろうか。

一体サンドラ・ブロックの存在は何だったのだろう?それともホントにただのマリッジ・ブルーとはどういうものかを描きたかっただけの映画なのだろうか?

MS. QT MAI

オースティン・パワーズ・デラックス

★★★

相変わらず飛ばしまくってくれました!特に前半、放送禁止用語炸裂のTVショーのシーンは涙が止まりませんでした…またシアトルのスペースニードルにあるスターバックスが悪の本拠地になってたり、ホントに芸が細かい。男性自身!の呼び方がこんなにあるなんて!と英語の勉強になったりもします。

また今回は、オースティン自身よりも、悪役勢がパワフルで笑わせてくれました。エーヴィルとミニ・ミーのジャスト・ア・トゥ・オブ・アスのデュエットは最高。

残念なのは笑いがあまりに前半に集中しすぎているのと、オースティンとフェリシティのロマンスがすんなり行きすぎなところ。まあ前作のお相手は90年代キャリアウーマンで、今回は60年っ子っていう差は有りますが…

最近私が最も注目してる女優がヘザー・グラハムなのですが、彼女「ブギーナイツ」以来、コスプレさせたら世界一、まさにオタクの星ですね。これからもどんどん、看護婦だの、マクドナルドの店員だの演ってほしいものです。まさにベイビ~っていう呼び名が似合う世界一!

次回作はレズビアンの役とか。女の私でもたまりません。

MS. QT MAI

アイズ・ワイド・シャット

★★★

公開前からキワい噂ばかりが飛び回っていたが、オーストリアの作家が原作なだけにまるでクリムトの絵画を思わせるような美しい作品だった。

特に公開に際して一番問題になったという仮面舞踏会の世界は、見終わって数日たった今でも脳裏に焼き付いており、「シャイニング」の双子姉妹の映像、「時計じかけのオレンジ」のレイプシーンなどと同等に、いかにキューブリックが言葉や音声で訴えかけるのではなく、映像のみで人の心に恐怖の染みを作るのが上手い監督かを改めて感じた。

内容的には、夢物語のようでありながら、ある意味非常に現実的な物語である。性への憧れと不安、死の恐怖など、人間なら誰もが一度は体験するであろうテーマだからだ。この作品が彼の遺作となったのは感慨深いところだ。

と、ここまで賞賛しておいてなんだが、残念なのがやはり、キャスティングだ。ニコール・キッドマンは確かにビジュアル的には美しいし、冷たく無機質なふんいきが役にはあっているとは思う。だが、ひとたびセリフを口にすると舌足らずな声が幼稚に聞こえ、オープニングのダンスシーンなどは「酔っているの」というセリフを口にしなければ、ただの頭の悪い女にしか見えない。

もともと過去の作品「冷たい月を抱く女」が火曜サスペンスなみの作品に成り下がっていて、こういう繊細な役を彼女が出来るのだろうか、と心配だったのだが…

また、トム・クルーズに関して言えば、確かにいつものように頑張っているのだが…その「頑張ってます」的演技がやはりこのような静かな作品には向かないのではないか。

そもそも色っぽさを見え隠れさせなければいけない作品なのだから適度な色気と演技力、そして知性を兼ね備えた役者、たとえばレイフ・ファインズやジェフリー・ラッシュ、ユマ・サーマンやエリザベス・シューあたりにこの役をやってもらえれば更に作品の格も上がるとおもうのだが…

MS. QT MAI

クアトロディアス

★★★★

粗筋などに関してはBOX東中野のHOME PAGEに詳しく載っているのでご存知ない方はそちらからどうぞ。http://www.mmjp.or.jp/BOX/database/quatro.html

魅力的な映画は、出演者が有名だとか、監督が大物だからとか、原作者が文学賞をとったなどという事とはまったく関係がない別のところで生まれている。

しかし残念ながら映画を観にいく場合の映画選びの重要な要素とは、そういった事柄ばかりで、観客数もその3つの要素に大きく影響されている。たまには人の意見に耳を傾けて、今週末観にいく映画、借りるビデオを決めてもらいたい。

クアトロディアスは残念ながらすでに公開は終了していて、レンタルビデオに頼るしかないので、リバイバルに期待しましょう。

南米映画は仏映画よりもよっぽど見る機会が少ないが、最近はアカデミー賞からみで「セントラルステーション」、サンダンス映画祭からみで「フラミンゴの季節」と上映が続いた。「クアトロディアス」も97年アカデミー外国映画賞にノミネートされていた。

もちろん南米ばやりというわけではないが、今後も各配給会社には南米映画へも目を向けていってもらいたい。

それと同時に、国際交流協会が主催する映画際(特集といったほうが正確だが)でも積極的に取り上げてもらいたい。最近主催回数が減ったように感じるのは気のせいだろうか?

「クアトロディアス」を見終わると南米のパワーを感じる。この映画はチラシの裏側にあるサン誌の批評「この四日間(クアトロディアス)は見る者全員に忘れられない四日間になる!!」とか、スティーブン・スピルバーグの「ブルーノの最高傑作だ!」といった言葉があらわす通りで、期待を裏切らない。いつもの当てにならない宣伝文句ではなかった。

これはノンフィクションをもとにした映画だが、その為に生じる退屈さを排除するための努力を感じる。まず他面な側面からの演出。首謀者、誘拐された大使、目撃者、警察といった一人一人が重要な主役となっている。独唱で生じる押し付けがましさがないため、冷静に一人の目撃者として、または仲間としてこの映画を見続けることができる。

また、話の抜き出しが上手いため、首謀者フェルナンドの人生感にも共感ができたり、反対に具体的に批判ができたりすることだろう。物足りなくもない、説明しすぎでもない上手い脚本がそこにはある。

映画を撮るにあたり、誘拐首謀者達にたいしてあまり友好的になりすぎることもなく、反対に批判的でもなく、感情をあまり入れない撮影をしている。もちろん、中立ではないことは、チラシや予告編に使われていた写真で首謀者が握りこぶしで腕をあげ、ピースサインをかざしている姿を使用していることが暗示している。

もちろん、その曖昧に近い立場が、この事件が与えるメッセージや、原作が訴えたかったことをぼやけさせてもいるようだ。

あまり政治的にどうのという内容でもなく、単純に犯罪物映画としてみればいいのではなかろうか。実話ならではの迫力があるから、ハリウッド映画の犯罪物とは大きく雰囲気の違う映画として満喫できるだろうし、ギャグを織り交ぜているわけではないためリアルな恐怖がある。

2流ホラー映画よりも恐いかもしれない。まだまだ残暑厳しいいまごろにはお勧めの一品です。

立野 浩超

運動靴と赤い金魚

★★★

イラン映画といえば・・・。確かにまず出てくるのが、アッバス・キアロスタミ。でもこの映画はキアロスタミっぽくなくて、まず個人的には好都合であった。そして最近の、特にアメリカ・ハリウッド映画などではまずお目にかかれないだろう、何とも素朴な映画だった。多分、相当低予算であるだろうし、それでもしっかり映画は作れるということでは素晴らしい。

さらに、この映画で素晴らしいのは子供の表情であると思う。それにしても主役の兄妹がよく泣き、悲しそうな顔をするのだが、その表情だけでつられてか同情してか心がジーンとしてしまった。それでいて時折見せる笑顔がまた素晴らしいのである。ただ、この映画は子供の表情の豊かさという部分が圧倒的に強くて、それを除いたら・・・と考えると、どうもピンとこない。観終わって、実際、何か物足りなさというのか何というのか・・・。ストーリーで引き付けるという要素がもうすこしあればなのか。何か児童映画といった感じだった。まあ、でもあの表情を観るだけでも十分か。

山下 裕

黒猫、白猫

★★★

「この映画は見事に突き抜けている。そしてきっと誰にも真似できない」厳しくつけて☆は3つまでだろう。エンディングにかけての盛り上がりは評価したいが、それまでの退屈さ、コメディーとしては評価できないところがマイナス点。

「黒猫・白猫」はコメディーであるかどうか?大爆笑している人がいるかどうか?私にとってこの映画はどこからどう見てもコメディーではなかった。コメディーというジャンルの中にこの映画を置くとすると最低レベルだろう。映画館のなかはほぼ満席だったがほとんど笑い声は聞えず、見終わった観客達のなかで笑いながら帰っていった人もほとんどいなかったということが正直に評価している。(これは私が見た回だけだったのだろうか?)確かに日本人は映画館の中で大声で笑うことがすくないが、そのことを十分わかってのことだ。

しかしコメディーの範疇を広げて解釈すると、皮肉や、ブラックユーモアのたぐい、風刺というものもあり、その中には収まりそうだ。ただ、それらにはメッセージ性が必要ではなかろうか。「黒猫・白猫」には「アンダーグランド」(★★★★★)のように宗教・民族的な重たいメッセージはほとんど感じられず、その為タッチが軽くなっている。また、一人一人の人間の面白味は深いものがあるが、笑えるほどではない。

さて、雑誌の映画紹介の写真、コマーシャルですぐに気付く点は、色の美しさ。これは全体を通して言えることだが、必ずしもきれいな場所で撮影している訳でもなく、衣装が多彩な色使いをしている訳でもなく、どちらかといえば小汚い場所、衣装でのぞんでいるのにもかかわらず、色彩豊かで発色のいい映像に仕上がっている。まるで輝くような色が映し出されている。コメディーとしては空回りするような演出のなか、結婚式のごちゃごちゃでイダ(ブランカ・カティチ)が踊る場面の美しさは、クストリッツアならではだろう。「アンダーグランド」でも同様の美しいシーンがあったが、「黒猫・白猫」中の必見のシーンだ。

評価したいのは山々だが、期待が大きすぎたせいもあるだろう。ここは厳しく誉めすぎない程度で書き終えよう。

立野 浩超

黒猫、白猫

★★★★★

「この映画は見事に突き抜けている。そしてきっと誰にも真似できない」

まず思ったことである。この作品の監督、エミール・クストリッツァなる人物を初めて知ったのが「アンダーグラウンド」であり、私は勉強不足で、この映画しか知らない。これを観たときには、「よく、こんな話思い付くなー」など思い、「しかし実写との合成が見え見えでひどいなー」など当時「フォレストガンプ」を観てしまっていたための比較によるチープさを感じたり、でもラストシーンの地面が流れていくという今も自分に残る強烈なインパクトと共に、独特で一度聞いたら忘れないあの音楽。こんな印象がその時あったと思うが、その当時私の中では特に好きな映画でもなく、この監督の存在はもう記憶の中で消えつつあった・・・。

と、そんな時に「黒猫、白猫」。監督の名前を見れば、あの監督。その中身はといえば、話といい、登場人物といい、とにかくぶち切れている。まあ、ラストに向かって、目隠ししながらトラヴァントが時速300キロキープで農道を突っ走る、そんな感じです。そして、これまた登場人物が濃縮ソースのようなキャラである。その中でも個人的には、車椅子(らしいが)に乗っているゴッドファーザーと呼ばれるじいちゃんは最高です。それから、前作のように意味不明な楽団がやはり出てきて、あの音楽もやはり健在、そして狂喜乱舞のごとくやはり踊る。・・・と、ハチャメチャな映画である一方感じたのが、パンフレットに載っている写真を見て、1カットの画が絵画的、アート的とでも言うのかとても魅力がある。劇中のシーンでも、船が出ていく川のシーン、ひまわり畑のシーン、そして林の中のシーンなどは画的にも、とても印象深かったです。

観終わってみて、この映画はまさしくあの「アンダーグラウンド」の、あのエミール・クストリッツァの、紛れもない作品であった。でも自分の中でその昔の印象とは大きく変わっていた・・・。いま一度、あの「アンダーグラウンド」を観て、昔の作品も観て、そしてまた「黒猫、白猫」も。

山下 裕

運動靴と赤い金魚

★★★★★

イラン映画に触れると、そのあまりに人間的な映画作りに驚き、純粋な出演者達の笑顔に安心感を覚える。しかし反面決してハリウッド系映画しか観ないような人達には受け入れがたい退屈さ、これは文学的ストーリーや最も有名なアッバス・キアロスタミの映画の独自性が原因の一つではあるが、それが邪魔して観客動員の限界が生じてしまう。

それを打破する為の一つの方策としては、感動させること。この感動が女性を引きつけ、ついでに男性までもがついてくる。自称映画好きでもイラン映画など、つまり西アジア・中近東の映画など観たことないという人達はごまんといるわけだが、これでその中の一人二人でも洗礼をあびてくれれば、今後の映画館経営に光明がさすというものだ。やはりまだ単館系映画館の経営は苦しいものだろうから。

この作品はシネ・スイッチ銀座で公開中だが、この映画館の良さはScreen Kiss Vol.007を参考にしていただきたい。

それに追記するなら、現在関連イベント(ほんのちょっとした物だが)として3階フロアーの階段の壁を使い、金魚のイラスト展示を行っている。

この映画館には多彩な客相が訪れるが、比較的米映画から仏映画まで観るような映画ファンが多いようだ。彼らが牽引車的存在となり評判を広めれば、この作品も「ライフ・イズ・ビューティフル」級のヒットになるのだが。

さて、この映画では★を5つ付けているが、4つとするべきかと悩んでしまう。純粋なストーリーで素朴な作品と言える仕上がり、エンディングまで脚本には不満を感じないのだが、あまりにまじめな作風で面白味が足りないといえば足りない。ただ、一部批評にあったように「マラソン大会のシーンは「ロッキー」のボクシングシーン以来の感動と迫力」と書きたてられたり、イラン映画の未来は明るいと言わしめる新人の登場に対しては、イラン映画界全体を評価すべきとなる。

私は4月末にイランに滞在したのだが、イランの雰囲気はアジア的なものから、中近東的なものまでがミックスされ独特の雰囲気がある。且つ宗教的にはイスラム教であり、今年7月に起こった大学生の構内占拠事件などはイスラム原理主義的なひき締めにあい結局中国の天安門事件のように弾圧されている。

映画に対しても検閲があり、中国に似ている環境だ。しかし、中国よりもさらに予算面と器材の面で苦労をしているに違いないのだが、それを感じさせない脚本がそこには存在している。

雪どけ水を流すための路肩の水路は坂道ばかりの街だけあって子供では拾いにくいほどの流れだし、アシュラ(イランで最も大きい宗教行事の一つ。今年は4月末から5月にあたった。)前の集会場面といい、イラン的な風情の表現で、外国人観客の為の演出には完璧な設定ではなかろうか。(この辺りは原作本の方が分かりやすく書いてあるので、文庫本の原作を読むことをお薦めする。)貧しい家庭の現状、商店の対応、それらすべてが画面からあふれんばかりにリアルかつ、映画的に表現されていることも評価対象だろう。ごまかしのないリアルなのだ。

映画の中で父親が砂糖を砕き、チャイ(紅茶)をいれ、説教のようなものを聞いている集会はアシュラ行事の1つなのだが、これは非常に興味深い宗教行事の一つなので簡単に説明しよう。

過去殉教者の苦しみを体感するため、町内の男性(老若)数十名から数百名が列をつくり、各々鎖や拳などで体をたたきながら町内を一周していく。市、地域により様式が多少異なるようだが、先頭の車がスピーカーをのせ、詩の朗読(音楽というべきか)を流している。次に、非常に重たい鉄製の飾りを一人が肩から担ぎ、その後ろに大人の列、次に子供の列がならんでいる。1時間から2時間の間ゆっくりとねり歩き、最後にモスクや集会所にもどり、いけにえをささげ、高揚したなかリズムは早くなり、血まみれになるほど体を鞭うつ。そしてモスクに入り終了。

まれにこの時期、ニュースで映し出されることがあるが、鞭うちすぎて死者がでることもあるらしい。(なお、私の見る限り死者や、血まみれの人はいなかった。)

なお、映画の話にもどと、父親は会社でお茶出しの仕事についているとのことだが、日経企業から現地の会社まで、掃除係り、お茶係りともにおそらく月収は$100程度。イランリアルになおすと約8,000リアル。ただし、この父親の場合は簡単に仕事を1月休めるような状況からさらに安く月給5,000リアル程度しかもらっていないのだろう。

庭仕事をしていてもらっていたのはおそらく5、600リアル程度だろうから、庭仕事に味をしめるわけだ。靴の修理にコインで支払いがすむ程度であっとことは安すぎる感じがするが、数分で終わる仕事の対価はその程度なのだろう。イランの奥深い日常生活をしることができる。

街のビルがいくつか映し出されるシーンがあるが、赤い枠取りのビル、ガラスのビルなどテヘラン市内に数日間滞在すればかならず目にする新しくきれいな近代的ビルだ。もちろんこれらの他にも現在続々建設中で、昨今アメリカの経済制裁が部分的に解除されているが、全てが解除された後はますますアジア的な発展を遂げていき、映画にとっての環境もよくなるだろう。なにせテヘランの背後には5000m級の山並みがあり、まるでアジア的なスイスといった雰囲気の都市。宗教的な制約もあるが、女性を主役にもってこられるだけの自由度もあり、想像力をかきたてる環境が映画をどのように育てるのか興味は尽きない。

立野 浩超