ラン・ローラ・ラン

★★★

一言でいうと実に面白い作り方をしている。音楽のスピード感と画面のスピード感が一致している点は強く評価できる。また走っているローラを追いかけたり並走するカメラワークもスムーズで、同時にローラの表情もいい。大して美人ではない(美人には写っていない)ローラ役のフランカ・ポテンテは走りながらも顔で演技を続けていて、息か汗でもかかってしまいそうだ。同時に自分が息切れてしまうような錯覚に捕われるほど。

これは99年サンダンス観客賞を受賞しているだけあって、観客が一様に驚きと興奮を感じることは確かだ。

ストーリーは20分の出来事を3回繰り返すのだが、各回ともに多少の違いで笑いを誘いながらその内大きな結果の違いが生じて行く過程は楽しめる。

ドイツ、オランダ辺りの最近の映画は独特の雰囲気がある物が多い。明らかにその他の国でとられた映画とはストーリー展開や人物の特徴が違い、この映画も同様にテクノ、又はサイバーパンクSF的な印象が強い。ローラの赤髪も目を引くものがある。走り去っていくローラにとって、目立ちすぎるほどの真赤な髪は常に観客の目を釘付けにするために必要な小道具といったところか。監督のコンセプトをうまくまとめた映画だった。

ただし、3回も繰り返されるとさすがに変化しない繰り返し部分は飽きがきて、退屈さを感じる。変化しない部分を時間的に短縮してさらに凝縮することができなかったのだろうか。走り続ける事でスピード感を常に保っていたという事は、その重要性を感じてのことだろうが、81分という時間が十分なスピード感を保つことができる時間とは思えない。81分以下にすることができない理由があったのではなかろうか。

立野 浩超

インディアナポリスの夏

★★★★

4つの★には評価が高すぎるという声も聞こえてきそうだが、全体像でとらえると欠点がすくない映画であり、青春物という言葉に鳥肌がたたなければ観るだけの価値は十分ある映画。

7月10日から始まったこの映画は初日の昼すぎの回で約30人程度と、このままでは早々に打ちきられるのではないかと思う程人気がない。あきらかに宣伝がまずい。チラシの写真はいいが「明日へ走れ」の文句は最低だった。またこのチラシ、「死にたいほどの夜」にイメージがそっくりだ。ちなみに「死にたいほどの夜」は 97 年のサンダンスに出品されている。

同じ年「インディアナポリスの夏」はサンダンス審査員特別賞をとっている点を考えても、どちらが見る価値のある映画かわかるはずだ。サンダンスの賞取り映画には、はずれが少ないというもっぱらの評判。

映画館で流しているコマーシャルのイメージは、50 年代のアメリカの青春映画という雰囲気を前面にだしすぎているし、たいしてスタイリッシュなイメージではないのに「スタイリッシュな青春ラブストーリー」なんて言葉に反応する人も今時いないのではなかろうか。これは「2人の男の友情と、女遊びの映画で、自分探しのロードムービー」とでもいうべきではなかったか。事実この映画はロードムービーではないが、そうとも言えるだけの展開がある。

実際は古臭いストーリーの青春映画ではなく、斬新ではないが現代タッチの成り行きには関心するし、新鮮味すら感じる編集のテクニック、ソニー(ジェレミー・デイヴィス)が見る幻惑のシーンのユニーク、程よいコメディータッチの行動。

さらに全体のストーリーは映画の途中でソニーがつぶやく「ライ麦畑でつかまえてのホールデンの様にはなれない自分」からもわかるように、その小説にそった展開をむかえる。またその言葉が最後の列車のシーンを引き立てている。(列車にぴんとこない方は小説を読みましょう。)

ガナー(ベン・アフレック)との崩れそうな友情には途中いつも不安を感じるのだが、エンディングを迎えるとその反動で大きな安心感に包まれていく。これが観客にも素直にソニーを見送るような気持ちよさを与え、実にすっきりした嫌みのないハッピーエンドとなる。このストーリー上無理のない終わり方には脚本の素直さを感じるはずだ。

サンダンの審査員特別賞をとったこの映画はサンダンスを評価している映画ファンにはかならず観ていただきたい一品。

立野 浩超

ムーンライト・ドライブ

★★

10 日にシネマライズで観たのだが、当日は「π」の初日で限定Tシャツの販売があるとのこと。正午には列が十数人。映画とあまり関係ない人気の為の列だが、シネマライズの商売の上手さはこんなところにある。宣伝効果は高いだろうから。

さて、この映画はあまり人の入りがよろしくないようで、上映3週目にして土曜日の昼の回ががらがらだった。これが映画のつまらなさをかたっているのだろうか。

しかし、評価すべきはこの映画のエンディングだろう。カウボーイの乗った車をパトカー2台が追っていくのだが、それが偶然同じ方向へ走っていくだけのようにも捕らえられる。解決してここで終わりという閉めのシーンではなく、予断を残すといったところ。しかもここで「真夜中のカウボーイ」の主題歌でもある”EVERYBODY’S TALKIG'”が流れ、カウボーイを送っていくのだ。この曲はエンディングタイトルまで続き余韻をうまく引っ張っている。

おおげさな演技と、おおげさな演出、それこそ撮影もおおげさで、同じテンポに飽きがくるが、このエンディングでそれはやわらいでいく。

立野 浩超

レイニング・ストーンズ

★★★

相変わらずの労働階級、不況、失業、家庭問題物で、実にリアルな設定。画面の色合い、カメラワーク、セリフ、すべてがまとまり1つの世界を作り上げるケン・ローチの映画。英国独特の陰気な暗さを彼は最もうまく表現し、使い分け、利用している。

ちなみに撮影はバリー・エクロイドで、いままで「リフ・ラフ」から始まり「レディーバード・レディーバード」「大地と自由」「カルラの歌」「マイ・ネーム・イズ・ジョー」と同じ色合い、かつその撮影題材にそった微妙な表現力を使い分けている。

「レイニング・ストーンズ」は2人のうだつの上がらない親父が羊をつかまえ、売りさばこうとするけち臭い行動から始まり、次第にそこまでやらなくては生きていけない現実と、どうしようもない社会が理解しやすい様にいくつかの騒動で説明される。

ノンフィクション的な魅力があり、同時にフィクションとしてのハプニングが映画としての魅力を掻き立てる。ボブ(ブルース・ジョーンズ)とアン(ジェリー・ブラウン)の乱れた、時たま寝癖のような髪型には注意。ノーメイクとしか思えない顔と合わせてイギリス失業物の特徴だ。

愛娘の聖餐式前の数日を惨めな現実と共に切り取った”シンプルな第2話”といえる映画。第1、3話とは場所、主人公、そして題名をかえてつくったケン・ローチの他の映画のことではなかろうか。それほど昔から一貫した現実主義で作品を生み出しているようだし、退屈な時もあるが、このようなポリシーや題材選びの力量には憧れすら感じる監督だ。

ケン・ローチ映画祭(銀座シネ・ラセットにて、7月10日から16日まで)見逃している作品がある場合は早くいきましょう。

立野 浩超

交渉人

★★★

ハリウッド大作-刑事物をみた。

ハリウッド大作の中でも特に刑事物は私の趣味ではないのだが、確かにこの手の映画は何も考えることなくただ観ているだけで楽しめる。そういった事の難しさは世界各国の映画人がよく分かっているだろう。さて、事件の真相が明らかになる後半まではまったく悩む必要なくただ眺めているだけで素直に楽しめた。それはストレスを解消する為の一番安上がりな方法ではなかろうか。

この映画の批評で目立つのはサミュエル・L・ジャクソンとケビン・スペイシーの演技のすごみだが、確かに彼らは演技のできる役者で、この手の映画に必要なおおげさな表情の中にもじつに新鮮な表現力を感じる。日本の役者と違って顔色をほとんどかえることなく感情の変化を表現できる。

テレビではおすぎ(信頼できる映画批評を書く数少ない人の一人)が「題名が読めなくても、出演者を知らなくてもお薦め」と言っているが確かに彼ら2人を目当てにいく人は少ないだろう。そうすると客引きの為には”宣伝で勝負”とばかりに、短いコマーシャルのなかで全ての目玉シーンを出してしまい、実際観に行って盛りあがるたびにコマーシャルのくり返しでがっかりすることがある。昔でいえば「キャノンボール」という映画が日本では有名ではないだろうか。あれはコマーシャルシーン以外のアクションがなかったといってもいい。

この映画ではそんなこともなかったが、反面シュワルツネッガーばりに目玉アクションがいくつもある映画ではない。どちらかというと、ダニー(S・ジャクソン)がこのビルの中で自分の置かれた犯罪者としての立場をいかに脱出するかという先の読めない展開が売りとなっている。つまりサスペンス映画だ。

又、この交渉人という設定自体は、刑事物の映画で犯罪者に言葉で説得するシーンを考えるとごく普通に見られるシーンで、それに目新しさを感じるということはあるまい。そうすると、単純に濡れ衣をきせられた刑事、ビルのアクション、新犯人探しとごくありふれた物となっていく。その点でやはりただのハリウッドの娯楽物といえる映画だ。

しかし、3つ★がつくのはやはり単純明解でかつ、ハッピーエンドが待っているお決まりのパターンにしっかりはめ込んで、それでいてついつい先を読みつつもはずれていくその楽しさといったところが評価に値するからだ。「悪人はなんとなく彼だと思ったよ」という声を聞いたが、実際観終わったからそう言えるだけで、もし後半15分を観せないで彼らに予想を聞けば、まったく訳の分からない答えになるだろう。

自己紹介や趣味の欄に、”映画好き”と書く人のなかにはこの手の映画しか観ていない人がいるようだが、今後そんな人たちにも薦めることのできるヨーロッパ映画を探して紹介したい。残念がら今上映されている映画の中には特にその手のお薦め映画はみあたらないが。

立野 浩超

幸せな日々

★★

まるでニューヨークのハイセンスな世界で繰り広げられるような今時多く見られる設定の青春映画。ちょうど今ロードショー公開されているアメリカ映画の「ハイ・アート」とかさなるものがあった。「ハイ・アート」は98年のカンヌ監督週間出品であり、サンダンスの評価も高かったので、その流れといっても問題はあるまい。「幸せな日々」は女優の個性が「ハイ・アート」にくらべて薄い。カメラ(写真機)でうつしたようなショットが多く、これもいかにも「カッコヨクサツエイ シマシタ」という雰囲気。モロッコ人との恋や、モロッコのシーンをちょっとだしてみたりするあたりは今となってはありふれた演出。

カメラマン志望の女性、カメラ好きな女性という設定はあふれかえっている為、なんらかの特色がないとどれもこれも同じに見え、映画の評価を落してしまうが、この映画では彼女が暴力を受けてしまい(当然の報いだったが)、その自分の姿を撮影してくれと頼むあたりは特色がでている。ただし、その写真をだして見せるあたりはいきすぎの演出かもしれない。くどい演出になってしまったのでは?

「6人の友人達の運命が交差していく」とパンフレットの説明にあるが、「3人の女性の運命が・・・」とした方が前売券はうれるだろう。

ベル・ママン

ルコントのレ・ブロンゼを思いださせるドタバタ喜劇で、W・アレンの「世界中がアイラブユー」のようなシーンがつづく場所あり。

コメディーの要素が少ないので間が抜ける。もうすこし密度の濃い脚本であればよかったが、脚本がよくないコメディーはどんなに監督、役者がよくてもね。

V・ランドンと、C・ドヌーブの歳があと10歳若かったらもうすこし魅力的な映画になったのでは。

カーニバル

★★

これはカーニバルを描いただけの映画か?NHKのノンフィクションか?そうならば本当にうまくカーニバルの雰囲気を映像に収めたものだ。

もちろんそうではないのだから映画として評価すると、映画としてみるだけの要素にかける。夫婦間の問題もありがちな厚みのないストーリー。多くをかたらずしてこの映画の感想に代える。

父の跡をたどって

★★

話題にすべきはまず主演のギョーム・カネだろう。日本未公開の「ザ・ビーチ」ではレオナルド・カプリオと共演しているという。ただし、先日映画館で流れていたコマーシャルを観る限りギョーム・カネは1ショットしか出てこない。もちろん本編ではそんなことはないのだろうが、あまりにも日本では無名だから。ロードショウ公開後にこの映画の評価が高ければ彼の日本での評価、人気もウナギ昇りになること間違いないのでは?ハリウッドの役者となるとフランス映画祭には決してやってこないものだから、これで最後のお気軽な来日だったのかもしれない。

さて、実物はかなりい男なのだがフランス映画は概して役者の不細工な面を映し出すので、この映画でもあまりぱっとしない。ロランス・コート同様に髪型がいまいちよくないのでは?

ロランス・コートに「映画よりかわいく見えるね」と聞いたところ、「ありがとう。髪型を変えたからかしら?!」とのコメントでした。

作品は詐欺の種類をもう少し増やしていけば楽しめるのではなかったか。ほとんど楽しめないのにエンディングでは笑顔を誘う演出であった為、エンディングがよくないという最悪の結果になってしまった。

ロートレック

★★

ル・シネマでのロードショウが決定されているこの作品。即座にイメージすることは、ル・シネマで上映される芸術家物はいままでがっかりするか、大きく感動するかで、決して当たりが多いという訳ではなかったということ。

これはル・シネマの選考されている方に問題があるのではなく、芸術を映像というほかの形態の芸術に変換するということの難しさが如実に現れる結果からであろう。芸術家が主人公の映画があくまでも一種の芸術として捕らえられる場合に限定される意見ではあるが、私にとって映画はフィクションであれただの娯楽ではなく一種の芸術として捕らえていることが多いのでこの意見になってしまう。(ぜひご理解いただきたい。)

さて、まったくのフィクション作品(最近ではル・シネマではなかったがシャンテ・シネで上映していた「レッド・バイオリン」などはフィクション作品)は別にして、それらの映画の問題点は、「実話に基づく・・・」といわれるストーリ自体にあったと思わずにいられない。つまり実話がそれほど凝縮された中身のあるストーリでない場合や、うまく2時間に編集しきれなかった場合大変間の抜けた映画になってしまうということ。他方、「実話を基に・・・」の場合はあくまでもストーリのアイデアにしているだけということになっているので、実話の間におもしろおかしく、感動的にいろいろ挿入できる。やりたいほうだいとはいかないまでも、ストーリー性が高まってくる。

この「ロートレック」は監督のコメントから察するに前者だったようだが、見終わった後のイメージで言えばこれは後者で、かなり好き勝手にやってしまった印象。いかにもゴッホに見えるゴッホが出てきたり、やりたいほうだいで行きすぎた演出が不満。それにレジス・ロワイエ(ロートレック役)の甲高い声はひたすら耳ざわりでうるさいし、悲しみの場面でも感傷的にはなれない。感傷的な場面も少なかったようだが、意図して感傷的にならないようにしむけたのであればその意味では成功している。

但し、そうした意図がまったく伝わってこないところに更に多くの問題があった。監督や出演者たちは作品を作り、演じているのだから何か意図するものがあって当然なのにも関わらず、何をどのように感ずるべきかわかりにくいのである。編集は唐突で目茶区茶。いきなり時代が変わり、場面が変わりその度に雰囲気が乱れていくし、酒場の中、娼婦館の中でリアルさをもとめた結果からか、ごちゃごちゃしすぎている。考える暇のない映画だった。

もちろん終わってからの印象で感じるものがあればいいのだが、混雑した内容でつかれ果てた結果ただ不快感と甲高い声のみが残った。音楽や場面の雰囲気をそこまで乱しても乱雑な編集をする意図が見えない。意図は常に明確であるべきだろう。