シネマライズ

地下の劇場は1フロアー約220席。最前列ではさすがに仰ぎ観る感じになるが、最後列まで見易い。段差も大きく前の人の頭が気になることはまずない。椅子はボトルホルダーこそないがゆったりした座りやすい椅子。前面右上の禁煙のサイン、前方左側の扉に非常口のサインが終始点灯しているのが残念。

自動販売機のジュースは紙コップで小150円、大200円。カウンターではその他ボトルジュース、スナックの販売があるが、カウンターの商品の価格をすこし値下げして欲しいし、カウンターをベースに演劇の劇場風に展開するという方法をお薦めするが、人件費の問題があるのだろうか、かんたんにはいかないようだ。入場者の列は左側の階段下の入り口前から並び、ホールにいっぱいになるといったん区切って入口の階段へ列ができる。たいていは1階の正面口まで列が伸びている場合はその回をあきらめて次回1時間前に出直したほうがいい。

2階の劇場は2階席があり合計約300席。1階席はほとんど段差がないが、画面が上の方にあり前の人の頭を気にすることはない。ただし、多少仰ぎ見る感じになり、画面との距離が近い分プラネタリウムの様でもある(ちょっとおおげさか)。2階席は反対に多少上から見下げる感じになり、どちらも問題はないのだが、ベスト席は2階席の一番前か、1階席の後ろのほう。椅子の色は地下が青い生地だがここは赤い生地。この色の感覚はシネ・アミューズがまねているようだ。

地下と同じく前方右上には禁煙のサイン、左前の扉には非常口のサインが終始点灯している。自動販売機、カウンターの内容は地下と同じだろう。

ここの列は通常階段をあがってチケットを切る人が立っているガラスの扉の前に順に階段を下がっていき外まで列をつくる。よっぽど混んでいる場合は、中の1階と2階の扉の前に列を作り、いったん区切って外の階段に列をつくる。この場合階段を降りて、正面まで列ができている場合は立見であろう。

立野 浩超

スターの出演料

1,000 万フラン(日本円で約2億円)、これは、ジェラール・ドパルデュー、クリスチャン・クラヴィエ、ジャン・レノらの、一回あたりの出演料なのである。またこの金額は、フランスの映画界の最も高額な出演料のリストのトップに、この3人を位置付けることとなった。これは、雑誌「ペルソ(Perso)」が行った調査によるものである。

ジュリエット・ビノッシュのオスカー賞の受賞は、かなりの先輩であるダニエル・オートゥイユの 600 万フランに対し、彼女がスクリーンに現れる度に、なんと800 万フラン手にすることを可能にした。

その下となると、大御所のカトリーヌ・ドヌーブ、ジェラール・ランヴァン、クリストフ・ランベールがいる。映画に出演して得る金額 400 万フランは、このベテラン俳優たちに巨大な映画ファミリーの貧乏な親のような印象を与えている。

その他の映画俳優では、キアラ・マストロヤンニやヴァンサン・エルバズが、30万フランしか手にすることが出来ないのに対し、ドミニク・ブラン、ヴァンサン・カッセルは、50万フランも受け取っている。

終わりに方には、ポルノ俳優が姿を現している。イタリア出身の男性ポルノ俳優ロッコ・シフルディの場合、出演料は3万フランを上回ることはない。わかり切ったことだが、イタリアの女好きは、お金のためではなく、楽しみのために働いているのだ。

淀川 長治 先生を悼んで

去る 11 月 11 日に映画評論家の淀川長治氏が 89 才で亡くなられた。丁度東京国際映画祭が終わったばかりで、何だか急に淋しくなってしまった感がある。実は私は中学生時代からの隠れファンであり、長年のファンを差し置いてここで彼への想い何ぞ語ったら叱られるであろうが、あえて書かせて頂く。

中学生の頃は当時よく読んでいた映画関係の雑誌にお話を連載されていて、中学生でも分かりやすく解説してあるので、雑誌は買わずとも必ずそのページじゃ立ち読みしていた。高校生位に一時反抗期?があって淀川先生の手に掛かると全ての映画が面白そうに思えて、それに引っかかってみて失敗した時に結構逆恨みしたりしていた。それが大学生になると今度はこの見方が今の私の映画への対し方に大きな影響を与えている事に気が付いて、いつの間にかまた彼のファンになっていたのである。

淀川先生も人間だから勿論作品に好き嫌いはおありなのだが、それ以前に映画が好きで好きでたまらないのだ。だからどんなにターキーマークのつく作品でもとにかく一点でも良いところを探す。音楽がだめなら調度品、それもだめなら小道具…と、とにかく何とか見つけだす。だが、実はそれでもだめな場合は、うまく避けていらしたのではないかと思う。こんな風に言っては失礼かとは思うが、だからこそあの名言「私は嘗て嫌いな人に会った事がない」を堂々とおっしゃれるのだ。

色々な著書を読んでいるうちナマ淀川に是非一度は会って見たいと思うようになって漸く実現したのは ’96 年の冬。草月ホールで催された「アイルランド映画祭」での講演だった。その日は確か「フィオナの海」「ナッシングパーソナル」そして最後に「ダブリンバスのオスカーワイルド」の上映日で「ダブリン..」の前にアイルランド映画を語るというものだったが、2月位だったせいか丁度午後あたりから雪が降り始めた。

淀川先生が着かれる頃は結構な降りになっていたが、きちんと早めに到着され、この講演の為に2時間位前から並んでいた私たち一人一人に声をかけられていった。講演はといえば、時間延長を気にされつつ「我が道を行く」「長い灰色の線」「クライングゲーム」等を身ぶり手振りそれにアイリッシュララバイ等の歌やら効果音まで交えて大熱演。とにかく感心するのがあれだけの記憶でまさにウォーキングシネマだったのに講演には必ず原稿、それも分厚いのを用意されていて、その時々の聴衆の反応を見つつ内容を変えてしまわれることだった。その時もぺらぺらと原稿をめくりながら「この辺はつまらないから飛ばそうな~」とか仰りながらお話を進めていかれ初めてその光景に遭遇した私は吃驚したものだ。

それからは機会をみつけては講演会に参加するようなり、時々のテーマが異なっても同じ内容のお話が出てくる事も多々あることに気付いた。だが、これがまたあの独特の話法とお声で何度聞いても楽しいのだ。誰でも小さい頃お気に入りの絵本を暗記する位読んで貰っているのにまだ何度も読んでと大人にせがんだ事があるだろう。これと同じなのだ。そしてこの内容がまた文楽からバレエ、歌舞伎と分野も多岐に亘っていてこれを本当にご自身楽しそうにお話してくださるのだから癖になってしまう。

何といっても間の取り方が上手で飽きさせない。それに決して難しい言葉を使われないからとても分かり易い。お母さまのお腹にいた頃からの感性だからかなう人はいないだろうが、通り一遍の映画解説書にある内容の羅列ではなくて、注意してみなくては忘れてしまっているような細かいシーンまで詳細に記憶されている。見ていない映画でもその語り口にかかるとまるで映画館にいるように目の前に映像が浮かんでしまう。たまには洋画劇場の解説にはみられない口調で「この映画はだめよ」何て仰る事もあって面白かった。

面白いといえば本当にユーモアのセンスのある方で、よく講演の最初に「こんなに大勢の人が来てくれて嬉しいな。私より年上の人いるかな?」とか昨年アテネフランセで初めて夜の講演(ここでは「映画塾」という事で断続的に塾が開講されていた)をされた時は「こんな夜によう来てくれたな。嬉しいな。どうせな、一人、二人、せいぜい 18 人位かと思ったのに」とか仰っていたが、本当に講演は早めに行かないと立ち見(というか、立ち聞き?)の憂き目にあってしまう。生徒も幅広い年齢層とはいえ、確かに先生より年上はいなかったが、たまにお話の中で俳優の名前を度忘れしてしまわれたりすると…ここがまた先生の偉いところなのだが、決して知ったか振りしたりごまかしたりせずに「誰だっけ?」と聴衆である私たちに聞いて、誰かか答えると「あんた偉いな~。若いな~。」と仰るのだが、言われた相手が 50 代、60 代何てことはしょっちゅうで言われた本人が自分の事かときょろきょろしてしまったりしていた。

かくいう私もこんな経験がある。ある時講演後に、写真を撮らせて頂いた。ここに付したものがその時のものだが、その時「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん、一緒に写真撮ろうな。」と仰るので思わず誰のこと?ときょろきょろしてしまったが、目の前ににこにこと待っていて下さる先生がいらした。おまけに緊張して並ぶと「あんたな、ここに座るときは服を脱がなきゃいけないよ」と仰って周囲の空気も和ませてしまった。この写真はあとでとても気に入ってくださり、大きく引き延ばしたのをお送りしようと思っているうちに亡くなられてしまい、とても心残りになっている。

講演後といえば、どんなにお疲れになられていてもアテネフランセでの講演後は必ずサイン等に気さくに応じて下さり我々ファンには貴重なひとときだった。そして別れる時は「握手は?」とご自分から必ず手をさしのべてくださった。近くでお目に掛かってみるとそのまま家に持ち帰れそうな?位本当に小さくて可愛らしいお爺ちゃまだが、何より聞く相手をよく考えてくださる事からたまに会場の椅子の配置が悪かったり狭すぎたりして環境が悪いと厳しく主催者側に注意されたりしていた。

いつでもスーツで登壇され、色々な点でとてもきちんとされた方だった気がする。ところで先生は1度結婚されている。お相手は高野悦子氏。その時の名前はシネマ君。その結婚式でもとてもきちんとしたお婿さんだったらしい。

今年7月に「鶴屋南北からクルーゾーまで」というタイトルで夏らしく?幽霊の話をして下さったのが私にとって最期の講演になってしまったが、車椅子で担がれていらしたのにはちょっと哀しかった。が、話を始めるとそんな事を忘れてしまう位パワフルだったのに 10 月の黒澤監督のお葬式に見えた時の淀川先生が何だか急にかぼそく見えて心配していたところだった。まだまだ長生きして頂きたかったが、最後の洋画劇場の「さよなら、さよなら…」を見ていたらあまりに小さくてあまりに痛々しくてこれ以上頑張ってとは言えない気持ちになってしまった。

毎回の講演での口癖で「私明日死ぬからね。まあ、死んだらお墓にね、小便でもかけて頂戴ね」と仰っていたけれど、もうあのお声が聞かれないと思うと本当に淋しい。私事だが、私は自身のお爺さんというものを知らずに育っているので、おそれ多いが何だか大事なお爺ちゃまを失ったような感じさえする。(でも、そんな感じを持った人は多いのではないかと思う)しかし最後まで現役でそういう意味では羨ましい最期だと思った。最期の言葉も「もっと映画を見なさい」何て。ご遺志を継ぐ人はたくさんいますよ。淀川先生、本当にご苦労様でした。合掌。

鳥野 韻子